最後の膿

最後の膿とおもわれる切ない気持ちにやられています。
その切ない気持ちとは「あああああああああああああああああああああああああああ青い鳥がよかったあああああああああああああああああああああああああ」という気持ちです。
今更そんな気持ちがどうして出てきたのかというと、やはりまだまだ、思った以上に、ラプンツェルだと言うことを甘くみていたからですね。
というか「あ、私はこれをやるべきなんだ」ということに気付いてしまったからです。
それに気づかないうちは、この最後の希望を捨てずに済んでいたのに。

私だって普通に働いて職場の愚痴などを言いながら休みの日に友達とショッピングなぞしおしゃれなカフェでおしゃれな飲み物を飲みながら上司の悪口などどうでもいいことを数時間おしゃべりして「はーっやだやだ!また月曜から働くか!」とか言いたかったああああ
ああああああああああああああああああああああああ(バタバタ)
っていや、今更そこ?と思うじゃん。お前それ、やったことあるやん?しかも、すぐできるやん?
って思うじゃん?今更?今更そこまで戻った地点での憧れ出てくる?って思うじゃん?
もちろん私はそれを頑張って目指すことは体験済みで「それは全然私にとってよくない状況」とは知っていたの。
でも!でも!
「もしかしたらそれが良くなる状況が来るかもしれない」「それこそが人生かもしれない」「いつでも戻れるようにしておこう」としていたの。
「人間を辞めたくない」
「辞めずに済む方法がまだあるかもしれない」
私にとっては、個人鑑定とかもそのための措置だったわけですよ。
個人鑑定どころか「誰か個人の相談に乗る」ということ。
それは一見自分のラプンツェル性を生かしているように見えるじゃん?
でも実は!実は!私が「青い鳥」に近づくための工夫だったわけ!!!
そこでお金を取るとか取らないとかそういう問題じゃなかったの!!!!!
ああああああああああ(膿)
無理なく働いて(それが勤め人であっても鑑定であっても、誰かの相談で役に立つことでも)普通に稼いで。いろいろ大変なこともあるけどさ。でも目の前の、できることをやって、目の前の人の役に立って。それって素晴らしいことじゃない?それこそが人生よ。
それが人間だろ?
という、「もしかしたら私は『人間』かもしれない」と言う僅か0.1%の望みを心の奥底に秘めていて、その望みが、最後の望みが、最後の希望が。
希望がああああああ。
姫は「自分を喜ばせること」が仕事。
お母ちゃんは「自分と相手を喜ばせること」が仕事。
私もそうじゃないの?
ずっとそう思っていたの。
私は自分を喜ばせることと、相手を喜ばせることが仕事なんじゃないの?違うの?どうして?みんなそう言ってるよ?マザーテレサも言っていたよ?って思ってたの。
でもラプンツェルは「社会を喜ばせること」が仕事だったの。そしてそれはもちろん前提に「自分を喜ばせること」と「相手を喜ばせること」があるとはいえ、それをゴールにしていると絶対に到達できないところにあるの。
ラプンツェルはよく家庭を犠牲にする。よく個人的な人間関係を犠牲にする。そして何より自分を犠牲にする。それは犠牲にするのは良くない。なぜなら犠牲にせずに済む方法を計算する気になればできるのだからそれはすべき。しかし一方でその先の「ゴール」が見えていたからしょうがないことだったんだと思う。喜ぶ社会のために。
目の前の大事な大事な1人が、悲しんで泣いていることより、この仕事で救えるかもしれない1億人の方が、大事だなって思っちゃう。
これに気づかせてくれたのは、クライアントたちが「私に怒られる!」と怯えている様子だったの。
私はよくクライアントから「またみくさんに怒られた!」と言われるの。
私としては怒ってるつもりは皆無なんだけど、よーく考えてみたの。私は確かに怒ってるなって。でも、もちろんそれは相手に怒ってるんじゃないの。「またこんなことやっちゃったの!?お前は未熟だな!!信じられない!!」と言う相手に向ける怒りじゃないんです。(だって未熟なのは治らないし、治す必要がないことを知ってるから。これは明日の記事で。)
それは自分に怒ってたの。それは「こんなことしてる場合じゃないのに!」と言う怒り。
ちょっと想像してみてほしいんだけど、今から津波が来るからみんなで避難しましょう!って時に、ご近所さんから「最近うちの子がピーマンを食べないんです!何か理由があるんでしょうか?」って相談されたら、皆さんはどう思いますか?
「知るか、うるさい!ピーマン食わせろ!口に突っ込め!それかピーマン捨てろ!ピーマン食わなくても死なない!お前はバカか?今そんな状況じゃないの!!!」と思いません?
しかしこれは明確に『津波が来るから避難しよう』と言う、明らかにピーマン問題よりも大きな重大な問題が「見えている」から表に出せる怒りなんです。
これが、なんの問題もない、お天気の良い日にお庭を掃除していたら、ご近所さんがやってきて、世間話のついでに「そういえばうちの子が最近…」と相談された時に「知るか!!!!!!」と言われたら、そりゃあ「怒られた」っていう話になるわけですね。
だから私は一生懸命、一生懸命パワーをセーブして「ふーむ、ピーマンですか、それは重大な問題ですね。ピーマン、ピーマン。少し考えてみましょうね。きっと理由があるはずです^^」と優しく言っていたんですけどwきっと、顔が怒ってたんでしょうね。
すごい剣幕で。
私にとってそれは一瞬で解決するような問題なんです。
しかし「コイツは一瞬で解決できるぞ!便利だ!」と味を占めた人々が行列を作り、一人一人に「ふーむ、ピーマンですか」をやっていたらぶっ倒れたの。
ぶっ倒れたの。
なぜか。
なぜか?
みんなが持ってくる問題が大きくて負担だったからじゃないの。
それは「津波が来るから避難しなきゃいけない」と言うことを「見てみぬふりする労力」がとてつもなくデカかったから。
しかし「見て見ぬふり」していることにすら気づかないわけですからしょうがないのです。
なぜなら
人間=青い鳥
私=人間
私=青い鳥
と言う三段論法を用いていたからです。
なので「自分が救えるはずの1億人」を脳裏で見ながら、見ないふりをしつつ「目の前の一人」のピーマン問題こそが、価値のある問題だと自己洗脳し、目の前の一人の笑顔が、世界の笑顔につながるはずなんだと言い聞かせ、「ふーむ、ピーマンですか」をやっていたからぶっ倒れたの。
けど気付いちゃったの。
私には仕事がある!!!!!!
って。
これが最後の砦だった。
これが最初で最後の砦だった。
私は目の前の一人を救うのではなく、1億人を救うべき。
私は「人間(青い鳥)」を辞めるべき。
気付きたくなかった。
いや、気付きたかった。
ずっと、気付きたかったけど、気付きたくなかった。
私は8年前に起業したときに、会社のビジョンに「日本人の霊性の向上と奴隷解放」を掲げていた。
幸いそれを笑うような起業塾ではなく、真面目に「奴隷解放という言葉は強すぎるのではないか?」などと検討してくれるような環境であった。笑
しかし実際にやったのは「カウンセラーになって一人一人と面談する」という仕事である。
ばかだな。
悲しい。
涙が出る。
私は頑張ったのよ。
本当に頑張ったのよ。
でも、私は、青い鳥じゃなかったの。
涙が止まらない。


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