快・不快の反応を、自らの指針にすれば道が開ける

みなさん、こんにちは。

みなさんは感情に波風が立たない状態が、平和でいい状態だと思ってしまうかもしれません。

または「失感情的に振る舞うことが、『大人』らしい態度である」と思わされている人もいるかもしれません。

しかし実際は違います。

感情は心の触覚のようなもので、反応なのです。
何かに触って、それが好ましければ楽しいとかウキウキした感じになるし、そうじゃなければ、痛みや不快感として感じられます。

どちらか一方を感じなくすることはできません。(触覚で、痛みは感じたくないけど熱さは感じたいなどコントロールできないのと同じです)

痛覚がなければ、痛みを感じないから生きるのが楽だと思うかもしれませんが、実際に痛覚がないとまともに生きていくことはできないのです。

不快をおそれなくていいのです。

みなさまの感性は本来シンプルで、快・不快しかありません。
そして快・不快を自分が感じられることで、人は自分らしい人生に向かっていくことができます。
危険なものから身を守ることもできます。

あなたは何に喜びを感じていますか?
そして、何に不快を感じていますか?

感じることを許可してください。

不快を感じることを、許可してください。
「嫌なものは嫌」とまずは感じてください。
「良かれと思って言ってくれれてるのだし…」などと、不快をごまかさないでください。
そのあと、それに対してどうするかを考えればいいのです。

最初は不快なことが99%でも構いません。
そのことを感じる感覚が自分にあるのだ、ということを喜んでください。
そして1%の快にフォーカスするように(増やしていけるように)習慣づけていけばいいのです。

最後に「感情」についてもう一つお伝えします。
「感情」というものは、基本的にはどんなものでも「快」です。

ただし「不快な感情」というのを誰しも経験したことがあるでしょう。
それは、その感情がネガティブだから不快なわけではありません。

自分のものではない、自分望まない感情は、不快なのです。

ポジティブなものであっても、錯覚や依存が引き起こすものは「不快」ですし、自分の感じた素直な感情であれば、実はネガティブと言われているものでも「快」です。
悔しさ、悲しみ、怒りなども、自分が感じたいと望んだ感情は全て「快」です。
嬉しそうに悔しがる、というのを見たことがありませんか?
または、深い悲しみが、その人の魂に火をつける瞬間を見たことがあるかもしれません。
それらの感情は不快ではないのです。

なのでいつもニコニコと笑っていることを目標にしているものには要注意です。
また、失感情的な文化(「何も感じないのがカッコイイ」)というものはデカダンスです。

人間は感情豊かです。
自分の感じたい感情は快です。
感じたくないものは(自分以外のもの)は不快です。(例えポジティブなものであっても。)

快・不快を感じることは「自分」の座標を確認するためにとても大切な感覚なので、今日はそのお話をしました。

ありがとうございました。


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