(昨日からの続きです)
それで、お話ししたかったのはそのような生き霊などを飛ばさないのはもちろん、浮遊霊やサイキックアタックなど、飛んできた時にどうするかという話なんです。
飛ばさないようにするにはもちろん波動を上げておいて、肉体やエーテル体などの低次の自分をきちんと「統合しておく(まとめておく)」ことです。
ちなみに話はそれますが、高次元にフォーカスすると、低次の存在を「まとめる」ことができます。逆に言えば、低次の存在にフォーカスしていると、エネルギーの身体と肉体の身体のまとまりが悪くなります。
このズレなどによってさまざまな不調なども発生してしまいます。(例えば怒りっぽい人はこの病気になりやすい…とか科学的研究がありますよね。あれは波動のことがわかっているとより理解できるのです)
本当は、波動のことがわからないと医療も成り立たないのですね。物理的な効果を求める(例えば止血など)なら、いいのですが。
話を戻します。
飛ばさないようにするのも波動を上げることであれば、飛ばされてしまった時もまた、波動を上げて、フォーカスを変えることなのです。
結局、対処法はこれだけなのです。
自分の意識エネルギーを使って、自らの波動を調整すること。
これ以上ありません。
よく幽霊が見えるひとは、無視しないと付き纏われるから、幽霊は無視しろ、とか言われますよね。
あれは波動のことがわかってないのです。
物理領域しかない、と教わっているので、しょうがないことなのですが。
波動から言えば「波動的に無視する」というのが大切なのです。
「ただ無視する」というのは対抗している点で、解決にはならないのです。油断したら憑依が発生して「あ〜またか〜トホホ」となってしまうのです。
また、除霊なども同じです。
あれは高次元の生命や、誰かの意識エネルギーの力を助けにして、(憑かれた)自らの波動のフォーカスを高いところに持っていく、ということをしていますよね。
つまり、霊媒体質は引っ張られやすい、というところを利用して、除霊する側は相手のフォーカスを高い方に引っ張るのです。
でも最終的にはその本人のフォーカスが変わらないと解決しません。
生き霊もサイキックアタックもエーテルコード(共依存)と呼ばれるものも、全て同じです。
それで、この仕組みがそのまま、悪魔崇拝的な現代社会に力を貸さない、という行為に直結します。
つまり波動領域を変えるのです。
霊的なことと言っても、何もおどろおどろしくて、非日常的な、神秘的なことではないのです。
精神的に重く苦しい状態は誰しも経験したことがあるでしょう?
それが4次元領域にフォーカスしている状態ということなんです。
そして、この文明ではその領域にフォーカスさせることを推奨しているだけのことです。
なのでみなさんがそこにフォーカスするのをやめて、高い次元の自分でいるようにすると、支配する存在たちは困ってしまいます。
個人的な単位で言うと、生き霊が飛んできている、というときに、「波動を上げま〜す!」と意図するということだけで解決するのです。
ただし、さっきも言ったように波動領域の低い存在は余裕がありません。
なので社会の中に「可哀想(同情)」という観念を植え付けたのです。つまり、弱いものを見捨ててどこかにいくことはズルくて卑怯なことで、同情する人間は優しいのだ、人格的に優れてるのだ、という教育です。
例えばみなさんが、公園で誰かと遊んでいたとします。
しかし、その中の一人が意地悪をするから、「もう遊ばない!」と言います。
そうすると「ひどい。どうしてそんなこと言うの。私にはあなたしかいないのに〜!」と言って、その子は泣き出します。
それでもその子と遊ばない!と決めることがみなさんには難しいのではないでしょうか。
これが「みんなで仲良く」という教育なのです。
なので、生き霊や浮遊霊に取り憑かれている状態は、その相手とある意味で一緒に公園で遊んでいる状態です。
解決策は「あ〜そばない!」です。それ以外にないのです。「遊ぶか」、「遊ばないか」しかないのです。
しかし「遊ばないのは可哀想」と言う気持ちが「思考の檻(→リンク)」となり、次元を上げることができなくて、なかなか切れない人がいます。
ここが重要なポイントなのです。
生き霊などの憑依を切ろうとし、次元をあげようと意図すると、条件反射的に「罪悪感」や「見捨てるような、見捨てられるような悲しみ」「寂しさ」などを感じてしまう。
それによって、意図するのをやめてしまう。(=「まぁ、いいよ。明日も遊ぼう」と言ってしまう。)
ついそれが辛くて「なんで生き霊なんて飛ばすんだよ〜涙」と、戦ってしまうのです。
しかし、その罪悪感や悲しみを感じた時に、さらに波動をあげようと意図してみて欲しいのです。
一旦、沸いてくる色々な感情は置いておいて「それでも波動を上げま〜す」と意図してみて欲しいのです。
そうすると何が起こるか。
その罪悪感や悲しみを、忘れてしまうのです。
正確に言うと、それらは次元の低いところでの感覚で、錯覚なので、次元が上がってしまうと持っていることができないのです。
さらにそうすると、何が起こるか。
相手と(低い部分の)エネルギー的に切れてしまって、相手の態度がかわったり、現実的に離れることになったりします。
しかし元の見方に戻すこともできます。(ルビンの壺のような感じでフォーカスを変えることができてしまうので)
「やっぱり可哀想なことしちゃったかな…」と次元が下がって思ってしまう。
しかしそこで次元を上げると「あれ〜なんだっけ〜」となる。
そんな感じで、波動の上げ下げがとても重要なんです。
みなさんは生き霊や幽霊が怖いと教わっているかもしれませんが、そんなことはないんです。
もっと怖いのは、みなさんが波動に関して無防備で、上げ下げできないことです。
生き霊といえば源氏物語の六条御息所で、平たく言うと愛人が正妻を念でやっつけてしまうのです。
でもそれを読んで「生き霊ってそんなに力があるの?怖え〜!」と思わなくていいのです。
なぜなら、正妻も同じ次元にいたからやっつけられてしまったのです。
つまり「一人の男性の寵愛を競う」と言う精神状態のことです。
この精神状態は常識的に考えて、とても辛いですよね…。
それで「あの女には負けない!」と戦ってしまったのです。
そうなると、もう生き霊合戦です(生きた人間なのに、もったいないですね。)
本人が次元を変えることができないと、どれだけ祈祷師が頑張っても無駄なのです。
話がずれたので戻りますと、優しい人や、他人の感覚に同調しやすい人ほど、真面目に考えるより波動の観点から実践した方が早いのです。
低次元の生命(人間のその次元も含めて)「駄々っ子」のようなものです。
みなさんは「大人(波動が選べる)」です。
大人が、駄々っ子に「遊ぼう、遊ぼう」とずーっと付き纏われている状態だと何が起こりますか?
大人は、仕事ができないのです。
大人の仕事は創造すること。
そしてその仕事を、本当は全宇宙に対して、誇りに思っていたのです。
人間に与えられた自由の冠をかぶり、誇りを持って創造していたのです。
今は、その仕事を放棄して、駄々っ子と一緒に公園で遊んでいます。
駄々っ子は遊んでもらえないと死んじゃう!と思っているので必死です。だからつい「私が面倒をみてあげないと…」と思ってしまうのです。
けれど、彼らはそう思い込んでいるだけで、本当は人間から構ってもらえなくなっても死なないのです。(人間の場合も、低次元に存在するその人にフォーカスしなくなってもその人は死なないでしょう?別の次元にもその人はいますので)
ただ今は、駄々っ子は暴走してしまっているだけなんです。なので、その暴走が止まってしまうということはあるかもしれません。でも、別に彼らは消えたりしません。
だから、大人は、駄々っ子と遊ぶのをやめる、と頑張って欲しいのです。(いつまでも、遊び続けることもできますが。)
その時に「意地悪しているような罪悪感」とか「無力感」「悲しみ」などなど、色々な気持ちが湧いてきて、波動をコントロールすることをやめてしまうと、それは次元の壁に阻まれている状態になってしまいます。
でもそれを超えてしまうと、すみ分けができるようになります。
「みんな仲良く平等に」は危険な考え方です。
平和とは、「争いがなくなること」ではありません。争いを無くそうとすることは干渉となり、争いは大きくなるのです。
平和とは、「すみ分けること」です。
自由とは、「誰にも邪魔されないこと」ではありません。
「自分が望む波動領域に、自らの意思で移行すること」です。
ありがとうございました。
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