みなさん、こんにちは。
こちらの記事について動揺(?)が伝わってきたので補足いたします。
引き寄せの法則による願望成就は成立しない
私は「願望など持つな」と言いたかったわけではないのです。
願望を持つことで波動が下がるとか、願望を持つことはいけないことだとか、そういうことではありません。
願望を持つのは自由です。
希望を持つのは自由です。
今日は何が食べたいとか、将来は何になりたいとか、小さなことから大きなことまで人は自然と願望を持ちます。
ただ、そのことと波動のことは「混ぜるな危険」だということを伝えたかったのです。
ここが、とてもとても重要なのです。
別に、願望を持ってもいいのです。
そして、その願望のために行動してもいいのです。
今日はどうしてもカレーが食べたいわと思ったら、頑張ってカレーを作って、カレーを食べるでしょう?
別にいいじゃないですか。笑
車が欲しかったらお金を貯めて買うでしょう?
それでいいんです。
でも、そうやって生きることと、波動のことは関係ないんです。
人はパンのみにて生きるにあらず…です。
そうやって生きることは動物たちもやっています。
そのことと波動のことは関係ないのです。
自分の言動によって波動が上がる、という考え方。
波動が上がったことによって願いが叶う、という考え方。
どちらも危険です。
そうじゃないのです。
カレーが食べられたのは、あなたの波動が高かったわけではなくて、あなたがカレーを作ったからなんです!
そして、カレーを食べたら願いが叶って波動が上がった、という図式ですと、例えば何かの事情でカレーを食べられなかった時に、どうやって波動をあげるのですか?ということになるんです。
好きな仕事をやって、何も我慢せずに、みんなが優しくしてくれて、欲しいものはなんでも手に入って、嫌な目にはまったく合わないで、モテモテで健康で…そうすれば波動が上がります、ということではないのです。
そのことと波動のことは無関係です。
波動とは関係なく、嫌な目にだってあいますよ。出かけようと思ったら土砂降りの雨だった…これは、波動とは関係ないんです。地球の天気の巡り合わせです。(よくいう「日頃の行いが悪い」とかいうことではないんです。)
波動を上げたり下げたりできるのは、言動・出来事・過去・他人・周囲の環境などの、外にある要因ではなくて、「あなた」です。
そして、あなたが波動を上げたり下げたりすると、それに伴って思考が変わり言動が変わることがありますが、その思考が変わることや言動が変わることはオートマティックに起こることでありコントロールはできません。
唯一のコントロール権なのに、波動を上げるも下げるも誰かの思い通り、じゃまずいのです。(それが支配です。思考の檻です。)
その主権は、あなたがしっかりと握りしめている必要があります。
波動は波動であり、言動とは違います。
ここか混ざると、何か、神秘的な、魔術的な力だと誤解されてしまうのです。
そうではなく、波動というのは、みなさんが発している「それ」のことです。
みなさん、自分の手を見てください。
手があるでしょう?
それと同じくらい、今ここにはっきりあるのが「あなた」です。
「あなたの波動」です。
それは心の状態によってさまざまに変化する、ちょっと流動性のあるものなので、手のようにはっきりは見えません。
しかしどんな人でも感じることはできるのです。
今は、心はどんな波動を発していますか?
今、精神状態はどんな感じでしょうか?
体が軽いですか?重いですか?
(体は心のエネルギーで動いていますので連動します)
どんな人でも、観察すればわかるはずです。
波動は、「それ」のことです。
神秘的なものではありませんし、第六感などではありません。
もし自分が出している波動が、思うような波動と違うなら、それを変えてください。自分で変えられるんです。
そして、それを上げたり、下げたりすることと、願望を持ったり行動をしたりすることは、全然別ものなのです。
例えば言葉によって引き寄せる、というのがありますね。
「馬鹿」という言葉は波動が低くて、「ありがとう」という言葉は波動が高い…と言って、だからできる限り波動の高い言葉をチョイスしましょう、と。
そうではないのです。それは、おままごとです。
波動が高い人も「バ〜カ」ということがありますよ。
子供ような性質を持った個性なんかは、その「馬鹿」が面白くて可愛いのです。
(例えばある芸人さんが「喧嘩芸」という芸を持っています。一般的に「争い合う、喧嘩する波動」とは重くて苦しい低い波動でしょう?でも「喧嘩芸」を見ていると「バーカ!」と言っているのがなんだか可笑しくて笑ってしまうのです。嫌な気持ちにならないのです。喧嘩というものを、なんだか馬鹿馬鹿しく思わせてくれるような、ユーモアがあります。)
逆に、意識して「ありがとう」といつも言っていて、表情もニコニコとしている人が、波動が低いことはよくあります。ボランティアや社会貢献を頑張っている人が波動が低いこともよくあります。
言動と波動は無関係なんです。
体をムキムキに鍛えていても波動は上がりませんし、10億円持っていても波動は上がりません…。貧乏でも金持ちでも、波動が高い人も低い人もたくさんいます。関係ないのです。
尺度がおかしいんです。尺度を「波動」にしてください。
現代社会では、どんな人でも「幸せ」になるために努力していますが、それは結局、言動をコントロールするばかりで、波動をコントロールしないで野放しにしているのです。
極悪人が「地球と調和した社会を実現させたい」と言うことがありますが、まったく波動が高くないので、笑ってしまいます。
波動を尺度にすれば、あっはっは、と笑っておしまいです。
波動が低い、だから悪いということではありませんよ。
高いか低いかというのは、善悪・優劣とは無関係です。
波動のことは、みなさんが「感じられない」と思い込んでいるから、なんだか訳のわからない方向に行ってしまうのですね。
波動は作り話ではなくて、あなたが出している「それ」なんですが…。どんな人もでよく感じれば、わかるはずです。
わからない人がいたらぜひ質問をしてください。
色々とお伝えしましたが、何か「願望を持つことはいけないことだ…」と誤解されそうな気がしたので、念のため訂正させていただきました。
波動文明を、みなさんの手で築いてくださいね。
ありがとうございました。
こちらの記事について動揺(?)が伝わってきたので補足いたします。
引き寄せの法則による願望成就は成立しない
私は「願望など持つな」と言いたかったわけではないのです。
願望を持つことで波動が下がるとか、願望を持つことはいけないことだとか、そういうことではありません。
願望を持つのは自由です。
希望を持つのは自由です。
今日は何が食べたいとか、将来は何になりたいとか、小さなことから大きなことまで人は自然と願望を持ちます。
ただ、そのことと波動のことは「混ぜるな危険」だということを伝えたかったのです。
ここが、とてもとても重要なのです。
別に、願望を持ってもいいのです。
そして、その願望のために行動してもいいのです。
今日はどうしてもカレーが食べたいわと思ったら、頑張ってカレーを作って、カレーを食べるでしょう?
別にいいじゃないですか。笑
車が欲しかったらお金を貯めて買うでしょう?
それでいいんです。
でも、そうやって生きることと、波動のことは関係ないんです。
人はパンのみにて生きるにあらず…です。
そうやって生きることは動物たちもやっています。
そのことと波動のことは関係ないのです。
自分の言動によって波動が上がる、という考え方。
波動が上がったことによって願いが叶う、という考え方。
どちらも危険です。
そうじゃないのです。
カレーが食べられたのは、あなたの波動が高かったわけではなくて、あなたがカレーを作ったからなんです!
そして、カレーを食べたら願いが叶って波動が上がった、という図式ですと、例えば何かの事情でカレーを食べられなかった時に、どうやって波動をあげるのですか?ということになるんです。
好きな仕事をやって、何も我慢せずに、みんなが優しくしてくれて、欲しいものはなんでも手に入って、嫌な目にはまったく合わないで、モテモテで健康で…そうすれば波動が上がります、ということではないのです。
そのことと波動のことは無関係です。
波動とは関係なく、嫌な目にだってあいますよ。出かけようと思ったら土砂降りの雨だった…これは、波動とは関係ないんです。地球の天気の巡り合わせです。(よくいう「日頃の行いが悪い」とかいうことではないんです。)
波動を上げたり下げたりできるのは、言動・出来事・過去・他人・周囲の環境などの、外にある要因ではなくて、「あなた」です。
そして、あなたが波動を上げたり下げたりすると、それに伴って思考が変わり言動が変わることがありますが、その思考が変わることや言動が変わることはオートマティックに起こることでありコントロールはできません。
唯一のコントロール権なのに、波動を上げるも下げるも誰かの思い通り、じゃまずいのです。(それが支配です。思考の檻です。)
その主権は、あなたがしっかりと握りしめている必要があります。
波動は波動であり、言動とは違います。
ここか混ざると、何か、神秘的な、魔術的な力だと誤解されてしまうのです。
そうではなく、波動というのは、みなさんが発している「それ」のことです。
みなさん、自分の手を見てください。
手があるでしょう?
それと同じくらい、今ここにはっきりあるのが「あなた」です。
「あなたの波動」です。
それは心の状態によってさまざまに変化する、ちょっと流動性のあるものなので、手のようにはっきりは見えません。
しかしどんな人でも感じることはできるのです。
今は、心はどんな波動を発していますか?
今、精神状態はどんな感じでしょうか?
体が軽いですか?重いですか?
(体は心のエネルギーで動いていますので連動します)
どんな人でも、観察すればわかるはずです。
波動は、「それ」のことです。
神秘的なものではありませんし、第六感などではありません。
もし自分が出している波動が、思うような波動と違うなら、それを変えてください。自分で変えられるんです。
そして、それを上げたり、下げたりすることと、願望を持ったり行動をしたりすることは、全然別ものなのです。
例えば言葉によって引き寄せる、というのがありますね。
「馬鹿」という言葉は波動が低くて、「ありがとう」という言葉は波動が高い…と言って、だからできる限り波動の高い言葉をチョイスしましょう、と。
そうではないのです。それは、おままごとです。
波動が高い人も「バ〜カ」ということがありますよ。
子供ような性質を持った個性なんかは、その「馬鹿」が面白くて可愛いのです。
(例えばある芸人さんが「喧嘩芸」という芸を持っています。一般的に「争い合う、喧嘩する波動」とは重くて苦しい低い波動でしょう?でも「喧嘩芸」を見ていると「バーカ!」と言っているのがなんだか可笑しくて笑ってしまうのです。嫌な気持ちにならないのです。喧嘩というものを、なんだか馬鹿馬鹿しく思わせてくれるような、ユーモアがあります。)
逆に、意識して「ありがとう」といつも言っていて、表情もニコニコとしている人が、波動が低いことはよくあります。ボランティアや社会貢献を頑張っている人が波動が低いこともよくあります。
言動と波動は無関係なんです。
体をムキムキに鍛えていても波動は上がりませんし、10億円持っていても波動は上がりません…。貧乏でも金持ちでも、波動が高い人も低い人もたくさんいます。関係ないのです。
尺度がおかしいんです。尺度を「波動」にしてください。
現代社会では、どんな人でも「幸せ」になるために努力していますが、それは結局、言動をコントロールするばかりで、波動をコントロールしないで野放しにしているのです。
極悪人が「地球と調和した社会を実現させたい」と言うことがありますが、まったく波動が高くないので、笑ってしまいます。
波動を尺度にすれば、あっはっは、と笑っておしまいです。
波動が低い、だから悪いということではありませんよ。
高いか低いかというのは、善悪・優劣とは無関係です。
波動のことは、みなさんが「感じられない」と思い込んでいるから、なんだか訳のわからない方向に行ってしまうのですね。
波動は作り話ではなくて、あなたが出している「それ」なんですが…。どんな人もでよく感じれば、わかるはずです。
わからない人がいたらぜひ質問をしてください。
色々とお伝えしましたが、何か「願望を持つことはいけないことだ…」と誤解されそうな気がしたので、念のため訂正させていただきました。
波動文明を、みなさんの手で築いてくださいね。
ありがとうございました。
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