数学が好きな人に、国語のインスピレーションは降りてきません

波動を上げインスピレーションが湧いてそれを行動に移す、ということを実践しています。
波動を上げて思いつく方法は、今まで知ってる中のことばかりです。
例えば私はフラワーエッセンスが好きなのですが「フラワーエッセンスを飲もう!」とかです。
知っている以上のことを思いつかないけど、私はさらに波動をあげる必要があるのでしょうか?

 

みなさん、こんにちは。
今日もご質問をありがとうございます。

自分の知識・経験・環境の範囲内で行動することは、何も悪いことではありません。
また、そのことが波動を上げること、下げることとは関係がありません。

まず、人は一人で完璧にはなれないのです。
例えば…国語が好きな人は、国語のことばっかりやって国語に詳しいでしょう?そうすると、自然とインスピレーションは国語に偏ったものになるんです。
逆に数学が好きな人には、国語のインスピレーションは降りてきません。
これは、悪いことではないのです。

一人一人はピースであり、全知全能になる必要はないからです。
1ピースの進化は、全体の進化となり。
1ピースの退化は、全体の退化となります。
一人一人が、自分に与えられた持ち場で楽しむことが大切です。与えられた持ち場というと嫌な感じがするかもしれませんが、その持ち場はあなたにしか与えられてない特別なオンリーワンな持ち場で、どんな人でも、そこで最高に楽しむことができます。(楽しむことができない持ち場はありません。)
逆に、その持ち場を出ると、楽しくないんです。
これは「不自由」ということじゃないんです。
例えば、毛糸の編み物が大好きな人がいますね?しかし、毛糸の編み物が叫び出したくなるくらい苦痛な人もいますよね?
それを「交代する自由」なんて必要ないと思いませんか?笑

つまり、人はそれぞれの知識・経験・環境のなかでインスピレーションを受け取りますが、それで何か不足しているということはないのです。

「ウルトラC」はありません(笑)

例えば、波動を上げたら突然料理のレシピが思い浮かび、それは誰も見たことのないけれどすごくおいしい料理で、それをレシピ本にしたりレストランで提供したら爆発的人気をよんでめちゃくちゃ儲かった!ということは期待できないんです。
絶対にないです、とは言い切れませんが。
例えば、上のような例は、料理を研究している人、シェフの方にだったら、起こりやすそうですよね?
でも普段から料理なんてどーでもいいやコンビニで買ってこよう、と思っている人には起こりにくい気がしませんか?

それは、つまり、そういうことです。笑

つまり「方法」というのは何でもいいんです。
別に他人から見たら、大したことないな〜っていうインスピレーションでもいいのです。
他人から見たら「え!?そこ!?」というようなインスピレーションでもいいんです。
自分から見て「それは前もやったじゃん」というようなインスピレーションでもいいんです。

インスピレーションは、具体的にいうと「方法」ではなくて「理解」なんです。

理解が行動に結びつくのです。
理解、というのは次元次元で起こる思考のことで、その理解が行動につながります。今、理解というのは「真理の理解」を『理解』と呼んでいます。
『確信を思い出す』というニュアンスに近いのかもしれません。

例えば「フラワーエッセンスを飲もう」とインスピレーションが浮かんだのは、フラワーエッセンスを知っているからか、フラワーエッセンスを飲んだことがあるからですよね?(知識・経験)
そして家にフラワーエッセンスがある、もしくは買ったりすることができるからですね?(環境)
なので「なぁんだ、思いついたのはフワラーエッセンスか。これなら知ってるや。」と思うのかもしれません。
しかし大事なのは方法ではなく、理解だとお伝えしました。
「フワラーエッセンスを飲む」というのは方法ではありますが、その方法を採用する前提には『理解』があります。

波動を上げた時起こる理解というのは「わかった」ということではなく「確信した」、「思い出した」という感じに近いですよね。(体験した方はみなさんわかると思います。)そこに疑いはありません。後から波動が下がって疑いが起こることがありますが、インスピレーションの時点では「確信」なのです。
それでいいんです。
変わった手法でなくても。

知識・経験・環境があっても、フラワーエッセンスをすっかり飲むのを忘れてしまっていることもありますよね?それは「理解」に波動が追いついていない時なのです。

理解は思い出すという感覚です。波動を上げると「私、疲れてるんだ!休もう!」と思ったりします。そこに疑いはないんです。「でも本当に疲れてるのかなぁ?休んで大丈夫なのかなぁ」とは思わないのです。(一瞬後で、疑いが湧いてくることはあります。)

その理解には、特別な方法は必要がなく、また、特別な知識・経験・環境は必要ないということです。

すごく世間知らずで知能が低いのに、幸せそうに暮らしている人っていますよね。例えば、こういう制度があるとか、世の中の仕組み的にはこうだとか、そういうことをほとんど知らないけど、周りに助けられて幸せに生きている人もいます。
でも「周りに助けられて」ということは知っているんです。それが『理解』です。だから他人を大事にしようとか、大切な人には優しくしようとか、他人の失敗を許してあげようとか、前提になる知識や考え方なんて知らなくても、自然とやっていて幸せなんです。
もちろん、世間知らずで知能が低い上に、理解が低くて他人に助けられていることがわからない人もいますよ。それはとても苦しい人生になります。
でも、めちゃくちゃ世間に精通していて知能が高くても、理解が低い人もいますし、それはとても苦しい人生になります。

なので、インスピレーションの内容、つまり方法は、関係ないんです。

波動を上げて思いついたことを実行していれば、幸せに生きることができます。
いきなり、めちゃくちゃに変わることはありません。しかし結構、タイミングによっては急激に変わることもありますよ。
でも、急激な次元の変化は心身に負担もあり、定着しにくいので、ゆっくりでいいと思います。

ご理解いただけましたでしょうか?
何か疑問があったら教えてください。

ありがとうございました。


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