社会問題を考えているともやもやしてしまう

ある国で起こっているジェノサイドの現状について調べていたら気分が悪くなってしまいました。それから、ニュースを見て国内の貧困の様子を知ったらやっぱり気分が悪くなってしまいました。
慌てて波動をあげたところ、少し落ち着いたのですが、やっぱりまだモヤモヤします。
直接的に、そこで迫害されている人などを助けに行くことはできなくても、私にできることがあるのではないか?と真剣に考えてしまいました。
寄付などもしているものですが、収入の関係もあって微々たるものです。
もちろん、波動を上げるということについては全面的に賛成で、これからも実践していくつもりです。しかしそれ以外にも、このような社会的な問題は現状たくさんあって、それについて行動面で何かできることがあったらアドバイスをいただきたいです。
よろしくお願い致します。

みなさん、こんにちは。

ご質問をありがとうございます。
順を追ってお話しさせてください。

このようないわゆる「社会問題」と言われるような問題については、視点を分けて考える必要があります。

それは、個人感情のレベルでの視点と、人類全体やシステムなどの集合的な視点です。

これを混同してしまうくらいなら、そのような情報に触れない方がいいのです。

どういうことか説明いたします。例えば、どんな社会問題にも個人にフォーカスが当てられて紹介されます。
それはもちろん悪いことではありません。
例えば、有名人の〇〇が自殺をした。それによって、芸能界の××という問題が明らかになった。
という図式があるとします。

個人レベルの視点で言えば〇〇さんにフォーカスをしますよね。
そして、どれだけ辛い思いをしていたかとか、どれだけ苦しんだか、どれだけそれが痛ましい出来事であったか等という角度で、情報を、受け取ります。

そうすると、まず、みなさんは、シンプルに怖くなっちゃうのです。

「こんなことが我が身や親しい人の身に起こったら!?」と想像して怖くなっちゃうのです。
そして、「このような事が世界にあっていいわけない!このようなことを無くさなくてはいけない!」と、目の前の恐怖を、すぐにでも取り除きたくなるのです。
この時の気持ちは、みんな口では「〇〇さんのために」と言いますが、実は自分の恐怖のためなんです(責めているわけではなく、事実としてお伝えしています。個人レベルの感情はそのようにできているのです。)

そうすると「××」という問題が悪いんだ!これを無くせばいんだ!と短絡的になってしまい、個人の視点のままでその××に立ち向かって行こうとしてしまうのです。

しかし、実際のところ、一人一人がそのような気持ちになって行動を起こしたところで、何かの業界だったり、ルールや、政治や、他国の思想などを、ピンポイントで変えることはできません。

なぜなら、それらはシステムで、全てが繋がっているからです。

これが第二の視点です。

例えば「芸能界の××(何かの社会問題)」を無くせばいい!!ということは個人の力では不可能なんです。

それらは繋がっている、一部の問題だからです。

だから社会問題を考える時に注意していただきたいのは、個人レベルの視点と社会レベル(繋がりの視点)を切り分けることなのです。

例えば、「今日の交通事故 死亡1」と書いてあると「人が一人死んでいるのに、そんなに無味乾燥に表現するのは人間として問題があるのではないか」ということも言えると思います。
これは個人レベルの感情を考えた時に感じる事です。
しかし、これは「データ」なんですね。このデータに基づいて考えるときに個人の感情はすごく邪魔をするのです。

例えばこの場所で交通事故が多い、というのはデータでしか確認しようがありませんよね?
他の道路に比べて30%も高い!これはどうしてだろう?もしかしてここの〇〇のカーブの角度が何か人間に錯覚を起こさせるのではないだろうか?とか夜間の視野が他の場所よりも〜〜なのではないか?とか、「つながり」視点で情報を考えなくてはいけませんよね?
その時に「そのカーブで亡くなったのは若い男性でまだお子さんが生まればかりで、その日は奥さんの誕生日で…etc」と言われたら誰だって感情が揺れるのです。その感情の揺れは、個人のレベルではある程度正常な事でしょうが、データを認識する時には、邪魔になるのです。

それからメディアはことさら、残虐なことや、人の不幸などを強調する傾向があります。
なので感情的になってしまい、社会問題に対してモヤモヤしてしまうのです。

人は一人では、できることが限られています。

しかしその中で「できることをやっていきたい」と考えるのは正常なことです。

じゃあその「できることってなんだろう」と考える時に、感情の視点は必要ないのです。必要なのは「つながり」の視点なのです。

そのために重要なことをお伝えします。

人一人の人生というのは、ゲームのようなものなんです。

例えば子供がゲームばかりやっていたら、親は「えーい!」とリセットボタンを押してしまいたくなりますよね。しかしボタンを押されても、その子供の人生は続いていきます。むしろその子の人生が続いていくからこそ、何かを教えたくてリセットボタンを押すのですよね。

一人の人生も同じなのです。「人は死んだら終わり」ではなくて、生まれる前からもずーっと続いているし、死んだ後もずーっと続いていきます。
なので、ジェノサイドで死んだこともあなた自身が過去に体験したこともあるでしょうし、その他いろいろ、社会問題と言われるような境遇に置かれたこともあるでしょう。記憶はないでしょうが…ともかく過去に生きた経験や、今している経験は、全員がある次元では繋がっていて、それぞれゲームをやっている状態だと思えばいいのです。
だから「たった一人のどっかの誰か」にフォーカスして「怖いですねぇ・悲しいですねぇ」と恐怖を煽られる必要はないのです。それはあなたではないし、あなたはその人の気持ちの本当のところはわからないし、その人が死ぬ間際に感じていた波動のことなんてわからないでしょう?死に方に対しても、何か特別視する必要はないのです。

嘆き悲しむことは無駄に波動を落としてしまうことですので、ある程度のところで自分自身の人生に集中した方がいいのです。(自分自身の人生だってそれなりに大変なんですし。)

一方で私は「世界には問題なんてない」と言いたいわけじゃないんです。

確かに、現在の地球では、人類の観点から望ましくない行為は多々行われていて、いわゆる社会問題と言われるものも、できればなくしていきたいなぁと思いますよ。

そのために、1つは波動のことをお伝えしています。これは、個人レベルで行える「自分の心を守る」という最強の方法で、どんな境遇であっても確実に世界中の平和に貢献できる方法です。

そしてもう1つ今日は「つながり」のレベルで、みなさんにご提案があるのです。

それは「大きなものから離れていく」という提案です。

少しずつでいいのです。大きなものから、小さなものにしていく、ということを、出来る範囲の中で意識してみてください。

例えば、それまでグローバル企業と言われるようなところで買い物をしていたのなら、それを日本企業に変えるとか。

日本企業のものを買っていたものを、地域企業に変えるとか。

大企業で仕事をしているならば、規模を小さく、数人の信頼できるチームと仕事をできるようにするとか。

どういうことかと言いますと、悪事は早い段階で、そして小さな段階でわかった方が、みなさんが口を出すことができますよね。

なので悪い人は、できるだけみなさんが見えないところで悪事を働こうとします。人がいる時に、わざわざ泥棒には入りませんよね。
簡単に悪事が明るみに出たら大きな犯罪は犯す事ができません。
なので、極力、みなさんの見えないところで多くのことが行われている状態を作ります。

簡単にいうと「システム化」です。

例えば、日本の中にもたくさん村があって、それぞれが独立していると、悪事がめちゃくちゃやりにくいです。今、コロナで各自治体のトップが「こんなにみんな人格が違うんだ!やばい!」ということに気づきやすい状態になっていますよね。それは単純に「小さくなったから見えるようになった」のです。

組織が大きくなればなるほど悪事は犯しやすくなり、またその悪事はバレにくくなり、みなさんが知らないうちに悪事に加担するということも起こりやすくなるのです。

例えば隣の農家が作ってくれた野菜を分けてもらったら、その人が信頼できる人であれば安心して食べられるのです。
しかしどこか外国の農家で、どのように育てられたかよくわからない野菜を、どこかの商社の人がとても安く買ってきて、日本で高くメーカーに売り、そのメーカーはよくわからない野菜を加工して製品を作って、それを営業の人がスーパーに売って、スーパーの人が全国に分けて、あなたの地域の支店の担当者が売って、それをあなたが買った時に、どこで何が起こっているかということは全然わからないのです。「見えない」のですから。

簡単にいうと、大きなものになっていけばいくほど、そこには「権力」が生まれてしまうんですね。そうすると悪事は権力とセットなんです。(権力は、波動が重いエネルギーです。他者に対しての思いやりなどが持てる次元ではないので、悪事を犯してしまうのです)

だから「大きなもの」から「小さなもの」に少しずつ、選択肢を変えていけばいいのです。

全ては、つながっています。
だから、一人の力では直接的に変えることはできない。
でもつながっていることを逆手に取ればいいのです。
つながっているのだから、一人一人のこのような選択が周り回って、社会問題を解決していくことになります。

コストは相対的に高くなるかもしれませんが、それはみなさんの利益や、みなさんの子供たちの利益になるのである意味「安全な投資」なのです。(コスト削減…これほど恐ろしい言葉があるでしょうか?笑 それは搾取を意味します。)

価格では「高いものはいいもの」、「安いものはだめなもの」とは決められないのです。そうではなくて「大きいもの」より「小さいもの」。「小さいもの」の方が安ければラッキー、高くても許容範囲ならオッケー。もっと高くて家計を圧迫しそうなら無理しないでおこう、という感じで、できる範囲でいいのです。

一気にやろうとしなくていいのです。
パンを食べる時に、〇〇ザキパンのパンを買っていたのを、近くのパン屋さんのパンに変えるだけでもいいのです。

まとめると、社会問題について考えるときは
1、個人感情のレベルで恐怖に釘付けにならないこと(そうなってしまったときは気を逸らす、落ち着いて波動をあげる等)
2、つながりの視点で見た時にできることをしていく(私の提案は「大きなもの」から離れていくこと、です)

大きなものから離れてください。
大きなものはみなさんを幸せにしてくれません。

ありがとうございました。


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