みなさん、こんにちは。
みなさんが「過去」と呼んでいるもの、それは「決めつけ」です。
実は「客観的事実」と同じで、「事実としての過去」というのはどこにも存在しません。
(客観的事実は存在しない、の記事はコチラ)
例えば過去に私が、Aというものを、Bに動かしたとします。
すると今見ると、AはBに移動しています。(というか、Bに置いてある)
しかし、私が動かしたことをすっかり忘れてしまい、AをBに移動させたことも誰もみてなかったとしたら、Aはただ、Bにあるだけでしょう?
つまり、「私がAをBに動かしたぞ」っていう過去は存在しないのです。
あるのは「AがBに置いてある、今」ということだけです。
しかし、私は、過去にAをBに動かして、そのことをとても後悔しているとするならば、Bを見るたびにため息を漏らすでしょう。
私にとって、AをBに動かした記憶というのはすごく悪い記憶で、「確からしい」もので、それがあたかも事実にように感じてしまいます。
しかし実際は「客観的な過去」は存在しないので、それを思い出している人たちの頭の中にあるフィルターを通して何かを決めつけているにすぎないのです。
あるひとは「AがBに動かされたことはめっちゃラッキーだったいい思い出」でもあったりするのです。
また、自分の出す波動によってもフィルターがかわり、「AをBに動かしたこともそんなに悪いことじゃなかったな」と思えるようになったり、そもそも思い出さなくなったりします。
波動によるフィルターは個人個人のものです。
フィルターを通さない過去、というのは存在しません。過去は、各個人の頭の中に存在しているだけなんです。そしてそれはフィルターを通しているので必ず何かの色がついていたりします。
要は、過去というのは人々の頭の中にある決めつけの集合体です。
そのことを理解すると、過去に囚われなくなります。
そのことを体感的に理解するには、波動を上げることです。
過去に対するネガティブな感情で代表的なのは「後悔」です。
後悔はとても波動の低い時に湧いてくる感情で、波動を上げると持っていることができません。
後悔している時に必要なのは「反省」ではありません。
なぜなら後悔している時というのは「過去」に対して強いフィルターがかかっているでしょう?
そうすると、とても主観的な状態ですから、「何を反省したらいいのか、わからない」「何が悪かったのか、わからない」となり、永遠に後悔し続けるのです。
(ちなみに少し難しい話になりますが、主観の対義語は客観ではありません。主観の対義語は無我で、それはグラデーションになっています。)
でも考えても何が悪かったのか、何を反省したらいいかはわからないんです。
波動を上げて考えると、何が悪かったのか、何を反省したらいいのかわかります。「この観点で見れば私はここが未熟だったし、この点でこう悪かったので、次からしないように気をつけます」と思えるのです。
そしたら後悔はもうできませんので(波動が下がらない限り)そのことについてはもう何もする必要がありません。
ちなみに、究極の話をすると目の前の現実というのも「過去」なので、それを見て悩むのはとても無謀な挑戦なんです。
過去はこの世界に存在しなくて、自分のフィルターを通して現れてくる頭の中にあるだけの存在なんです。
だから、目の前で嫌なことがあった、とか、いいことがあった、とかに対しても、それについては一喜一憂も受け止めて、また自分の波動を見る(現実を直視する)働きに切り替えていけばいいのです。
過去や、客観的事実は存在しません。
存在しないものについて考えるのは、まぁ、趣味程度にしたほうがいいのです。
現実に存在するのはみなさんの波動のみです…その唯一の現実を「何それ?みたことないし、聞いたことない!」っていうのは、とても危険な状態なんです。
みなさんの纏っているその「空気」。
それが波動です。
日本のみなさんは「空気を読む」のが得意なのでしょう?では、今みなさんが自分の周りに纏っている空気を読んでください。
そしてその空気を、意識エネルギーによって、動かしたり、変えたりして、遊んでみてください。
過去のことに引っ張られそうになったら、いつでもその意識に切り替えてください。
みなさんが「過去」と呼んでいるもの、それは「決めつけ」です。
実は「客観的事実」と同じで、「事実としての過去」というのはどこにも存在しません。
(客観的事実は存在しない、の記事はコチラ)
例えば過去に私が、Aというものを、Bに動かしたとします。
すると今見ると、AはBに移動しています。(というか、Bに置いてある)
しかし、私が動かしたことをすっかり忘れてしまい、AをBに移動させたことも誰もみてなかったとしたら、Aはただ、Bにあるだけでしょう?
つまり、「私がAをBに動かしたぞ」っていう過去は存在しないのです。
あるのは「AがBに置いてある、今」ということだけです。
しかし、私は、過去にAをBに動かして、そのことをとても後悔しているとするならば、Bを見るたびにため息を漏らすでしょう。
私にとって、AをBに動かした記憶というのはすごく悪い記憶で、「確からしい」もので、それがあたかも事実にように感じてしまいます。
しかし実際は「客観的な過去」は存在しないので、それを思い出している人たちの頭の中にあるフィルターを通して何かを決めつけているにすぎないのです。
あるひとは「AがBに動かされたことはめっちゃラッキーだったいい思い出」でもあったりするのです。
また、自分の出す波動によってもフィルターがかわり、「AをBに動かしたこともそんなに悪いことじゃなかったな」と思えるようになったり、そもそも思い出さなくなったりします。
波動によるフィルターは個人個人のものです。
フィルターを通さない過去、というのは存在しません。過去は、各個人の頭の中に存在しているだけなんです。そしてそれはフィルターを通しているので必ず何かの色がついていたりします。
要は、過去というのは人々の頭の中にある決めつけの集合体です。
そのことを理解すると、過去に囚われなくなります。
そのことを体感的に理解するには、波動を上げることです。
過去に対するネガティブな感情で代表的なのは「後悔」です。
後悔はとても波動の低い時に湧いてくる感情で、波動を上げると持っていることができません。
後悔している時に必要なのは「反省」ではありません。
なぜなら後悔している時というのは「過去」に対して強いフィルターがかかっているでしょう?
そうすると、とても主観的な状態ですから、「何を反省したらいいのか、わからない」「何が悪かったのか、わからない」となり、永遠に後悔し続けるのです。
(ちなみに少し難しい話になりますが、主観の対義語は客観ではありません。主観の対義語は無我で、それはグラデーションになっています。)
でも考えても何が悪かったのか、何を反省したらいいかはわからないんです。
波動を上げて考えると、何が悪かったのか、何を反省したらいいのかわかります。「この観点で見れば私はここが未熟だったし、この点でこう悪かったので、次からしないように気をつけます」と思えるのです。
そしたら後悔はもうできませんので(波動が下がらない限り)そのことについてはもう何もする必要がありません。
ちなみに、究極の話をすると目の前の現実というのも「過去」なので、それを見て悩むのはとても無謀な挑戦なんです。
過去はこの世界に存在しなくて、自分のフィルターを通して現れてくる頭の中にあるだけの存在なんです。
だから、目の前で嫌なことがあった、とか、いいことがあった、とかに対しても、それについては一喜一憂も受け止めて、また自分の波動を見る(現実を直視する)働きに切り替えていけばいいのです。
過去や、客観的事実は存在しません。
存在しないものについて考えるのは、まぁ、趣味程度にしたほうがいいのです。
現実に存在するのはみなさんの波動のみです…その唯一の現実を「何それ?みたことないし、聞いたことない!」っていうのは、とても危険な状態なんです。
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そしてその空気を、意識エネルギーによって、動かしたり、変えたりして、遊んでみてください。
過去のことに引っ張られそうになったら、いつでもその意識に切り替えてください。
ありがとうございました。
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