信仰とは、民族の波動的な防御装置で、かつてはそのために神話があった

信仰ってなんですか?
以前崇拝との違いを説明してくださいましたが、人間から力を奪うのが崇拝で、人間に尊厳をもたらすのが信仰と聞きました。
朝起きた時に今の現状は家族も友達も楽しいことがあって幸せだと思い、その瞬間波動が下がってそれが壊れるのが不安になり、また波動を上げたら、関係性が変わることも幸福の形なのかもしれないと思うようになり、それを信じるということが信仰なのかな、と思ったのですが、あっていますか?

こんにちは。
ご質問をありがとうございます。

波動が上がった時に訪れる認識を信じることが、信仰なのか?
という質問だと思うのですが、それは少し違うんです。

信仰といえば宗教、というような感覚のみなさんからすればちょっとわかりにくい話だったのかもしれません。
(信仰は宗教とは全く無縁で無関係なものなんです。)

波動が上がった時に訪れる認識は「確信」であるため、信仰は必要ないんです。

朝起きた時に、波動が上がって行った時に、次元の壁にぶつかり不安になった。
その時に必要なのが信仰ということです。

ちょっと矛盾するようですが、望ましい波動領域が高次元だとすると、信仰とは必要のないものなんですね。
なぜかというとその波動領域に近づいているときは確信があるからです。

信仰が必要なのは、波動のゆらぎに対してなんです。
信仰というのは、波動をコントロールするための一つの知恵なんです。
それは神話とも結びついています。

つまり「動機付け」の部分なんですね。

人は波動が低い方に向かって行こうと思えば、いくらでも向かっていけるのです。
波動を上げていくと、
「あなたはなぜその自由意志を使って、波動を高い方にフォーカスするのですか?」
としつこく問いただされます(次元の壁)

その時に、自分をしっかり保っておくために必要なのが信仰です。

そして波動を負けずに上げると確信が訪れますので(「関係性が変わることも幸福の形なのかもしれない」と理解する状態)そのときは信仰は必要ないのです。

信仰は民族の(波動的な)防御装置なんです。
そのために神話があるのです。
例えば「私たちは太陽の民だ」ということに、根拠はないでしょう?
けれど、彼らは「波動的に・感覚的に」そのことを信仰することで自らの波動を一定以上に保つことができると「経験的に」わかっているのです。

太陽的なるものと、闇的なるものの違いを感覚的にわかっているのです。
そして、太陽と自分を紐付けるか、闇と自分を紐付けるかを「自由ですよ、お好みでどうぞ」と私は言っています。
民族によっては、自分を太陽と紐付けることで、自分たちを守るのです。

闇と自分を紐づけることには確信が起きません。
(波動を下げていく、という行為は「確信」から遠ざかっていく行為なので。)
なので「崇拝」が必要になります。

「信仰」は、確信を取り戻せばすぐに捨ててしまっていいのです。
確信が揺らいだらまたそれを利用して、波動を元に戻すために使う。
そういう、実際的な「道具」なのですね。

残念ながら、今地球にいらっしゃるみなさんの多くは神話を持っていません。
民族というものが、支配者の憎悪の対象だったため、それらの多くは解体されてしまったのです。
また、残っている神話も形骸化した、「波動的役割」を剥奪されたただの御伽噺だけのようです。

なので私は、民族として神話を持つことは諦めて(それはのちに必要となった時に生じるはずなので)個々人の皆さんが自分の中にある「創造主」の意識を信じる(信仰する)ようにしていただきたいと思っています。

そのことで、また1から作り上げるのです、波動の高い文化を。

波動を上げていくことで、必ず次元の壁にぶつかり、嫌になってしまうことがあるかと思います。
そういう時にもめげずに「とりあえず波動をあげよう」と思うようになるためには「波動の存在」とか、「人類の本質」とか、そういう知識(まぁ、つまり神話ですね)が必要となって、またその知識を信じる(多くの人が教科書で習ったことを真実だと信じるように。)という行為が必要なんです。

しかしそれは崇拝と違うポイントがもう一つあり、常には必要がないということです。
崇拝は、崇拝の方が自分よりも立場が上で、自分に主導権はないのですが、信仰は、自分が必要だと思ったときは使い、不要なときは忘れている、そのくらいのものでいいような気がします。
極端にいうと「やばい!」という時に自分の心を咄嗟に守るための、緊急措置なんです。

例えばポリネシアの民族にはさまざまな信仰があるんです。

死ぬ! 死ぬ!
生きる! 生きる!
(以上を2回繰り返し)
見よ、この勇気ある者を。
ここにいる毛深い男が再び太陽を輝かせる!
一歩はしごを上へ! さらに一歩上へ!
一歩はしごを上へ! そして最後の一歩!
そして外へ一歩!
太陽の光の中へ!
立ち上がれ!
(ハカダンス-wikipediaより)

これを見るとわかると思いますが、自分を奮い立たせるのです。
恐怖に対峙した時に波動を下げないためにです。

それから古典フラの一般的なチャントには「Ho‘opuka E Ka La〜」と入りますがこれも「東から登る太陽よ」と呼びかける意味でして、深い意味があるんです。
それは、誰に捧げる祈りなのか?ということなんです。
実は誰かに捧げる踊りではないんです。

このように民族にはそれぞれ前提となる神話があり、信仰があるんです。
信仰はとても波動的に見れば「実用的な働き」があったんですね。

崇拝もまた、波動を下げていく、という意味では「実用的な働き」ではあるんですが(笑)

信仰する内容は「自然」じゃなければいけなんです。
崇拝する対象は「不自然」じゃなければいけないんです。

この違いは、言葉で説明すると屁理屈のようですが、ごくごく当たり前で感覚的なものなんです。

私が言いたいのはただこれをごっちゃにすることなく、己を信じて(信仰)進んで欲しい。
己以外を信じて(崇拝)進むと、それは破壊、破滅に進む道ですよ、とお伝えしたかったのです。

破壊・破滅に進むことが悪いことだというわけではありません。
ただそれを、自分が救われる道だと信じて(信仰ではなく崇拝なのに、それを信仰かのように思わされて)地獄に道連れにされることは、あまりみなさんが望むことではないかと思います。

みなさんが信じるべきものは「自らの神性」か、それに結びついている象徴だけなのです。
それ以外のものは全て「崇拝」だと思ってください。(宗教とか)

私が言いたいのは「自分を幸せにしてくれるもの」だけを信仰してください、ということです。

自らの波動領域を選ぶときに何か困ったら、私の語った神話を思い出していただけるよう願っています。
(関連記事:人間には波動を選ぶという他の生命にはない特権がある

もしわからないと思えばまた質問してください。

ありがとうございました。


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エネルギー治療者、ヒーラー&カウンセラーのみくです。大磯町のサロンにて、個人セッションを提供しています。read more