あなたが今どんな状況であろうと、あなたは不幸ではありません

以前おっしゃっていた、親しい人が亡くなって悲しい時に波動を上げていくとはどんな感じ?
祈ってる感じ?
不謹慎だと言われそう。

こんにちは。
ご質問をありがとうございます。

親しい人がなくなって波動を上げていくというのは、その出来事を味わうということなんです。

例えば人が亡くなることを「不幸」と呼びますが、これは言葉上だけの話で、人が死ぬことと不幸は一切関係がないでしょう?
波動を上げるというのは、出来事に対して「これは悪い」とか「不幸だ」とか決めないってことなんです。

なので、たまに誤解されるのですが、波動が上がる=ウキウキ♪ワクワク最高!みたいなことではないんですね(そういう場合もありますが)

波動が上がるとは、いつでも現実的で落ち着いていて、執着がない状態なんです。
一般的にそのような感覚は「明るい」、「軽い」と近いので、上記のような誤解が発生したのかもしれません。
なので親しい人が亡くなった時にも波動をあげようと思っても、別にお葬式で笑っちゃったりするわけではないので、不謹慎と言われることはないんです。

自分のしている体験についての深い味わいがある状態といいますか…。
「悲しい」という感情をありのまま体験すればいいのです。それはきっと「悲しい」という3文字で表現できる感情ではないと思います。(言葉はあくまでラベルです)
親しい人が亡くなったことも含めて自分の人生を全部肯定している感覚です。

それが不幸だと、波動が下がっているときは思ってしまいます。
こんなことがあってはならないとか、これからお先真っ暗だとか…。
自分の人生を否定してしまうのですね。
もちろん波動が下がってしまうのはしょうがないことかもしれません。
(特にこの社会では、死=ありえないもの、という文化なのでみなさん耐性が低いです。)
でもその時でも波動を上げることを意図すると違ったことが起こってきます。

ネガティブな感情や出来事に対しても、しっかり波動を上げると、それ自体を味わうことができます。
そうするとそれが「不幸だ」とか「よくないことだ」という次元から離れることができて、冷静でいられるのです。

波動を上げるとは「自己(現実)肯定」なんです。
波動を下げるとは「自己(現実)否定」なんです。

なので、色々な出来事が起こったときにも波動を上げておけば、ちゃんと悲しんだり、悔しんだりもできるでしょう。その感情に負けてしまうということではなくて、もののあわれとして「あ〜悔しいなぁ!」って爽やかに言えるのです。

少しイメージしていただけたでしょうか?

祈りとは全然違いますね。
別に祈ってもいいですが、そのことと波動は別の話です。

いかなる体験・感情も「不幸だ」ということがない、ということなんです。

「不幸だ」という思い込みは人生を蝕みます。
それは自己否定だからです。

「私は不幸だ」「誰かが不幸だ」と決めつけるのは波動がとても低くなっている状態です。
(低い波動を「選んで」いる時です。)

あなたが今どんな状態であろうと、あなたは不幸ではありません。

そのことを波動を上げて確信してください。
いつでも自分を肯定し、何が起こっても強く生きていっていただきたいと思います。
そのためにはしっかり自分の心の状態をコントロールしてください。
みなさんが唯一コントロールできるものです。

ありがとうございました。


よかったら❤️を押していただけると励みになります。

正式版 損切りのやり方はこちらからPDFを無料ダウンロード
2回のレクチャー会をベースに改良を加えた最新版になります。Kindle版は現在準備中。【追加技法】損切りエクササイズ:損切りの基礎力向上のためのエクササイズです。