服が「似合う」って必要?

巷では近年、骨格診断やパーソナルカラー診断というものがあります。骨格のパターンや肌の色を知ることによって似合うとされる服や色がわかるというものです。
骨格や肌の色を知ることは、自己理解のひとつに繋がるような気はします。でもこの場合の「似合う」というのはどういうことなのだろう?と思ってしまいます。
確かに、診断通りに服を選べば、色が白く見えたり痩せて見えたりリッチにみえたり、この社会の価値観的には良くみせることができるし、判断基準があるので服選びが楽になったりはします。でもそれは社会の価値観に合わせて演出された私なのであって、私個人が持つ個性の魅力を発揮することとは無関係なのでしょうか?
自分が好きなテイストと骨格や色味的に似合うテイストが違うのは自己受容が足りないから?とも思い、モヤモヤしています。
波動を上げると、着たい服と似合う服が合致するようになってくるのでしょうか?
それとも、似合う似合わないを超えた境地になるのでしょうか?
例えば、似合う似合わないは大した問題じゃなく、着心地とか機能とか環境負荷が大事、みたいな感じになるのでしょうか?

みなさんこんにちは。
ご質問をありがとうございます。

おしゃれは趣味の問題なので、それが楽しいと思う人はやったらいいと思います。

好みの問題なんです。
おしゃれは義務ではありません。

興味がない人は、興味がない人で別に構わないんです。
(同じ服を揃えてそれだけで暮らしている人もいますし、それで何も問題ありません。)

「似合ってるかどうか」を考えるのが好きで楽しい人もいるのです。

ちなみに「似合ってるかどうか」というのは、社会的な演出ももちろんだと思いますが、調和なんです。

「調和しているかどうか」なんです。

例えばオーラの色が見える人がいますよね?
オーラには、基本的な性質や性格が現れますが、赤いオーラの人が青い服を着るとなんか似合わないんです(笑)
和風な魂が、洋風な格好をするとなんか似合わないんです(笑)

似合う、似合わないは「調和しているかどうか」であって、骨格診断やパーソナルカラーはその指針の一つに過ぎません。骨格診断的に正解じゃないデザインや、パーソナルカラー的に似合わないとされている色でも「似合う」ってことは全然あるのです。

それは「調和している」ってことだからです。調和とは何か?を判断するのは、外見的な調和だけでもありません。例えばきている素材に対してでも、「私はこの布が好き!」とか何かあると、それを相手に伝えなくても相手に何か印象を残すものなのです。そのこだわりに対して「かっこいいな!おしゃれなんだな〜」という印象を与えたり魅力的に映ることもあります。

それが「似合っている」「調和している」ということなんですね。
着心地とか機能とか環境負荷も、その人に「似合っているかどうか」の基準になっているのです。

あとは、TPOに調和しているかどうかということですね。
やはり場違いな服装をすれば、その分だけ目立ったりします。
それは文化的なことなんです。
日本ではお葬式で黒い服を着るでしょう?
でも白い服を着る地域もあります。
そこに黒い服で行ってしまうとやはり文化に対するリスペクトにはならないんですね。
極端な話、全裸のアマゾンの部族の中で、スーツ姿でいたらすごくおかしいでしょう?
やはり「調和」を重んじる考え方が大切なんです。
ルールだからイヤイヤ従っているというふうに思うと窮屈ですが、文化に対するリスペクトだと思えばいいのです。
「似合う」というのは広い意味ではそういうこともあります。

ただ、やはりそれも根本は自由なんですよ。
例えば男性が女性の格好をしていてもいいし、若者の流行りの服を、おばあさんが着てたっていい。

それでトラブルになる人は、なぜトラブルになるかというとエネルギーの調和が取れてないからなんです。
それが反発や、反抗や、怒り、主張などになってしまっているということです。その場合、周りとぶつかり合ってしまうのでやはりトラブルになりますね。
でも本当に好きで、楽しくておしゃれをしている人は、エネルギーがぶつかってこないのでみんなも「まあそういう個性もあるかもな〜」くらいで、トラブルにはならないんです。

骨格診断なんかはやはりおしゃれが好きな人には楽しいのでしょう。ちょっとしたことで調和が取れたり、おしゃれに見えたりすると、感動したりします。
色を選んだり(パーソナルカラー?)も、やはり楽しい人には、楽しいですからね。カラフルなものを見たり、ちょっとした違いで「どっちがいいかな?」と悩んだりするのは…それで元気になった!という人っているんです。
好きな色の服を着ていると、やっぱり機嫌が良くなったり。

それは、そういうのが「好き」な人にとっては。

でも「自分をよく見せなければいけない!」と、義務のように感じれらるなら、ただただ苦痛でしょう。
それは簡単に言えば「おしゃれとかは別に好きじゃない、興味がない」ということなのです。

逆に言えば、「もっと他に楽しそうなことがある!」とか「こっちをやってみたい!」と思えるものがあるはずなんです。そういう人はそっちをやったほうが「調和」するんです(笑)

ボロボロの服を着ていても楽しそうに畑を耕していたらそれで「調和」してるからいいんです。
逆にその人が「こんな汚い格好じゃダメだ!」とか言い出したら「調和してないな」「なんかヘンだな」と思うのです。

好きじゃない、興味がないのに、なぜ強迫的にそれをやるかというと、自分を商品だと思っているからです。(こちらの記事で詳しく述べました)

おしゃれすることが、自分の商品価値を上げてくれると思っていると、とても苦しくて辛いです。
だってそれは趣味の問題ですから…鉄道に興味がないのに鉄道の写真を見続けるのは辛いです。

自分なりに調和を重んじて、楽しい範囲でやればいいと思います。
着たい服を着てください。選ぶ基準はなんでもいいんです。
それが似合うってことです。

おしゃれな人は遠慮せずそれを優先してくださいね。
興味のない人にとっては「この職場はネイル禁止!」とか「服装はフォーマルで」言われても気になりません。でも毎月のネイルが楽しみだった人がその職場に入ったらかなりショックを受けると思います。その場合は、入る会社はネイルが大丈夫かとかしっかり考える必要があるんです。

おしゃれが好きじゃない人は「私、俺、そういうの興味ないから」でいいんです。興味のない映画に誘われたときに「邦画には興味ないからパス」と言うのと同じです。他者に強要するほどの大した話じゃないんです。

「おしゃれじゃないとモテない」といっぱい頑張って宣伝したのは、ものを買わせるためでした。
おしゃれな人も、おしゃれじゃない人もモテには関係ないのですが…それに「価値がある!」と向こうから決めてくると、みなさんの「美意識」は眠ってしまっていて、それを基準にするしかなくなてってしまうのですね。

はい、とにかくおしゃれは、趣味・好みの問題です。
おしゃれかどうかであなたの価値が変わったりすることはありません。

波動が上がると、おしゃれが好きな人はおしゃれが楽しくなって、嬉しくなります。
おしゃれを仕事にしたり、おしゃれが人と繋がるツールになったりもしていきますね。
波動が上がると、おしゃれがそんなに好きじゃない人は、「私ってそうなんだな〜」って気づいて受容できます。そして他に、もっと興味のあることや「これって自分っぽいんだな」と思うようなことに夢中になっていきます。

好きな服をどんどん着よう〜と思うようになるかもしれませんし、靴にだけはこだわりたい!とか思うかもしれませんね。波動が上がっていくと、好みが変わっていくこともあると思います。

ありがとうございました。


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