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Q. 将来、いわゆる「株式会社」ってどうなるんですか?
本質的なものは、いつでもどんな時にも長持ちします。
使う人のことを考えた職人の品は、何代でも受け継げます。
では、株式会社はどうだったか。
使う人(社会のメンバー)のことを考えて、長く使えるシステムではありませんね。
買い替えてもらうために、すぐ壊れる仕掛けを作ります。大事な部品を、コスト削減します。安いお給料で、安く作ったゴミに、高い値段をつけたものが成功者です。
資本家のみが得をするための仕組みですから、当然です。
使いづらいな、と疑問を持って当然です。
徐々にその形式が採用されることは少なくなり、そのうちに姿を消すでしょう。
本質的なものじゃないと、長くは続かないのです。
Q. 今後GAFAのような企業は残るのですか?
盛者必衰のことわり。残念ながら全て入れ替わることになるでしょう。なぜなら彼らのシステムは循環していないのです。滅びゆく文明の「最後の王朝」と同じです。
新しいものを作っているように見えて、今までのシステムの中で最適化し、進化してきたものだったのです。最も強い王朝の最後はどうなったか?は歴史を見れば明らかなように。
崩れ去っていきます。今莫大な利益を得ていることとは、関係がありません。
もっと循環するテクノロジーと、それを担う小さな組織が、ITやインフラを担うことになるでしょう。
Q. 現在、様々な食べ物を日本中、世界中から取り寄せていますが、”お金が目的にならない社会”でも、やはりお金で交換して手に入れるのでしょうか。
いいえ。お金の交換は必要ないのです。
すべての人が、帰る家と暖かい寝床、食べるご飯と、着る服の心配がなくなるだけです。
日本中や世界中の食べ物に関わる仕事をしている人で、それが楽しいと思う人は、お金をもらわずともその仕事を続けます。
なぜもっとテクノロジーを活用しないのか?
なぜ、実用可能なテクノロジーの開発が進んでいかなかったのか?
それは、貨幣経済のシステムを維持させるためです。テクノロジーの使い道は人々の幸福ではなく、お金のためでなくてはいけませんでした。
それが大きな障害となっていたのです。
医療のテクノロジーも科学技術や情報技術のテクノロジーも「お金にならない」場合は開発できませんでした。国は借金を返さないといけませんし、会社は借金を返さないといけないからです。
本当は、今よりも環境に優しく効率的なエネルギーのシステムも、あっという間に実用可能なレベルなのです。
Q. しかし…手元の食べ物は食べれても、お取り寄せのような贅沢はできなくなってしまうのでは?
例えば、南に住む場合、北でのみ獲れる魚や北の地の特産品は食べられなくなるのでは?
これは問題を切り分けて考える必要があります。
それは動機です。
例えば、南に住みながら北でとれるサンマを食べたいと「心から、興味関心で」望む人というのはどれくらいいるのでしょうか。
南にはおいしい魚がたくさんあります、汚染された水ではない美しい海や川から採れる魚を、最も美味しいやり方で食べることができるとします。
しかしそれでも、他にももっとおいしいもの、珍しいものを食べたい!と望む人は、果たしているのでしょうか?
いないとは言いません。
例えば料理人は研究のために食べてみたい、と思うかもしれませんね。それから「とにかく珍しいものが大好き」という人もいるかもしれません。それはいいのです。けれど大多数はそうではありませんね。
ではなぜ、今、人々はわざわざ珍しいものを遠くから取り寄せてくるのか。
それはまず第一に粗悪なものが溢れているからです。
粗悪なものばかりで満足できなくて、どこかに満足できるものがあると洗脳され、探し求めているのです。
しかしすべての食べ物は遡れば地球資源にたどり着きます。
地球が汚されている以上、味付けで誤魔化したり見た目で付加価値をつけたりするような粗悪品しか手に入らないのです。
農薬で汚染された穀物はどんなに頑張ってもマズいのです。
工場で消毒した野菜はどんなに誤魔化しても苦いのです。
そして第二にストレスです。
人々は借金に追われ(すべての経済活動は借金です)、仕事に追われ、人間関係に追われ、そこから一時的にでも脱出できるような刺激に飢えているのです。
ストレスを緩和させるために優越感を感じさせてくれるようなブランドや、セレブな生活などによって一時的にでも楽を感じたいのです。
けれど、そのストレスがそもそも軽減されていたとしたら?
そもそも何にも追われずに、おいしいご飯を食べて、木漏れ日の下でゆっくりと昼寝をしていたら?
「もっと欲しい、もっと欲しい」という気持ちになりますか?
ゆっくりイメージしてみてください。
Q. 今のように「お金を稼ぎたい!」ということを人生の第一目的にする個人も存在することはするのでしょうか?
長期的には存続しづらい状況です。
もっと楽しいことがありますから。
切手コレクターのように「貨幣」をコレクションする方はいるかもしれませんが…。
Q. これまであったものが手に入らないという不満は募らないのでしょうか。
みんながみんな、ブランド品とかディズニーランドとか一流アーティストのライブとか美味しいものを食べるとか、今もっている欲望を簡単に捨てられるようになるとは思えないのですが。
今言っているような人の欲望は、簡単に捨て去られることになります。
なぜなら自然に生きれば豊かに満たされ、欲望が溢れるような事態にはなりません。
お腹が空いている人に「ご飯を食べたいと思うな」と言っても無理でしょう。
しかし、お腹がいっぱいな人に向かって「もっとご飯を食べなさい」というのも同じくらい難しいのです。
要は、今の皆さんは、飢えている。飢えを満たさないと、という思いで生きているから、欲望が止まらないのです。そしてその飢えは人為的に作り出されたものです。
さて、別のレイヤーで見ていくと、これまでのものが手に入らないなどということは全くありません。では、不便になるのか?というと、逆です。
逆に多くの人が豊かさを享受します。
現在は、超一流のアーティスのチケットは高いのではないですか?
お金がない人でも、見たければ、どんな人でも鑑賞できますか?
会場の広さには限界があるのではないですか?
しかしテクノロジーを駆使して、その様子をオンラインで、最高の音質で、誰でもどこでも見ることができたらどうなるでしょうか。
お金のない子供たちにも一流のピアニストのコンサートを聞くことができるようになったら、どれだけ素晴らしいことでしょうか。
場所や時間の制約があるものはテクノロジーが解決していくのです。
一番の制約は何だったのか。それが貨幣経済だったのです。
全体として見たときに、貨幣経済によって飢えることはあっても、豊かになることはないのです。
人々の幸福のために発展することはないのです。
なぜなら搾取(ごく一部の豊かさ)のために構築されたシステムだからです。搾取だけのために。
Q. 搾取だけのために…本当ですか?
では、これまでお金でいい思いをしていた部分は?
「いい思い」とは具体的には何を指しますか?
先ほどお話したように、貨幣経済だから得られてたと思ってた多くの豊かさは、むしろ貨幣経済こそが制約になっていたのです。
これは科学など研究分野だけではなく、エンタメやエネルギー問題も同様です。いい思いは、貨幣経済のないほうがしやすいのです。
みなさんはあえて窮屈でストレスフルな檻の中に入れられています。
お金があれば、そこから出れると思い込ませて、借金をたくさんしてもらうために。
基本的には不便で、お金を支払って初めて便利や良い思いをする仕組みにしないといけません。
お金なしでも便利で幸せになってしまったらヒエラルキーが存続できません。
だから、そうとは気づかれぬように劣悪な環境に置き、その後にお金を支払わせることでちょっとだけ、テクノロジーなどで快適さを与える。人々は、それを「いい思い」だと勘違いしてしまっていたわけです。
Q. でも、私には欲があります。贅沢は捨てきれない。
これからの時代は、このような煩悩を捨て去る、つまり悟りの段階をあがっていくというような感じなのでしょうか?
いいえ。悟りとは全く違うものです。
本来の姿に戻るだけです。
今までの社会は、欲を刺激する状況を作り出した上で「欲しがるのはみっともないことだ」と教えます。これはダブルバインドという強烈な催眠のテクニックです。
目的は、表面的には暴走をコントロールし、潜在的には人々の欲と怒りを刺激します。
しかし、お腹が空いたらご飯が食べたい、と思うことは恥ずかしいことでも悪いことでもないのです。
それが満たされれば、暴走はしない。それだけの話です。
人間は「人間」なのですから、ご飯を食べたいと思っていいし、いろいろやりたいと思っていいのです。
もともと欲も怒りもほどほどだったのです。
動物たちをみてみてください。みんな、ほどほどでしょう?人間も同じです。
自分の環境を壊すほどの欲や怒りは、余程、不自然なことをしない限り湧いてきません。
種が自滅していくような欲と怒りなど、最初からインストールされているわけがないのです。
そのために、あの手この手を使われていただけの話で、結局は「不自然」だったのです。
不自然なものはすぐに壊れます。
長続きするのは「自然」です。
(続く)
参考記事:
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