アシュタールからのメッセージ

みなさんこんにちは。

幸福感を感じることに罪悪感を感じる人が多くいるようです。

しかし幸福感を感じることは、実は人間に平等に与えられた権利です。
幸福になる権利が平等にある、とは言いません。
しかし、幸福感を感じる権利は平等にあると思いませんか?

そして実は「幸福」とはどこにも存在しないのです。

「幸福感」を感じることを勝手に「幸福」と名前をつけただけで、どこか、何かが「幸福」であるということはありません。
金持ちでも幸福感を感じない人がいます。
金持ちで、偉くて、奥さんが美人で、有能な人でも幸福感を感じていなければ「幸福」ではないのです。
しかし、それで「幸福感」を感じれば、その人は「幸福」です。
逆に貧乏で何も持っていなくても、朝早起きして、空を見ながらタバコを一服する瞬間にめちゃくちゃな幸福感を家事て、それだけでハッピーだと感じる人もいるのです。その人は「幸福」です。

このように幸福感を感じることは人間の機能として平等に与えられています。
そう言うのを感じにくい脳の病気など(精神病?)があるように言われていますが、実はそんなことはないのです。

なぜなら幸福を感じることは、肉体と無関係なところで起こっている反応だからです。
だから寝たきりで、意識のない植物人間であってもめちゃくちゃ幸福を感じている場合だってあります。

さて、話を戻しますと、このように幸福を感じると言うのは人間に与えられている平等な権利です。

あなたは選挙に行った時に、選挙に行かずに家にいる人に対して「ああ、私ばっかり投票してしまってゴメンナサイ」とは思わないでしょう?
なぜならば家にいる人も行こうと思ったら選挙に行けるからです。(この場合、法律上で年齢が必要でしょうが)それは権利だからです。(別に選挙に行けとかそう言う話ではありません)

また逆に、こう言う場合はどうでしょう。友達と二人で宝塚を受験した。一人は合格して、一人は不合格になった。この場合、合格した人は、不合格になった友人に対して罪悪感を抱くようですが、冷静に考えてください。

幸福を感じるために「宝塚学校」に入学する必要はあるでしょうか。
また、その不合格だった人は、進学した別の学校でとてもいい人と出会って結婚するかもしれません。それでもその人の不合格は不幸でしょうか。

このように幸福とは実は「合格・不合格」や「貧・富」のような出来事に付随するものではないのです。
何に対して幸福感を感じても自由だし、感じなくても自由なのです。

みなさんが、大きな出来事があってもなくても、ふとした瞬間、人生の転換、時代の変化などで「ラッキー」と感じることがあれば、それはそれで感じていいのです。幸福感を感じると言う心の機能を使っただけの話ですから、そこに罪悪感を感じる必要がないのです。

どうか幸福を感じることを、悪いことと思わないでください。
あなたが幸福になった分、誰かが不幸になると言うことはありませんから。
もちろん目の前で悲しんでいる人の前で大笑いをするのは色々な問題がありますが、心の中の幸福感を、目の前の人によって消す必要はないのです。
ぜひ、積極的にその機能を使いましょう。それは肉体とは関係ないところにある喜びの機能なのですから。

そしてその機能は、波動の高さと連動しています。なので、幸福感がわからなくなってしまったらいつでも波動を上げてください。波動を上げる権利も、平等に与えられています。

ありがとうございました。


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