自由意志と対立するドグマ

ブエナビスタさんからアシュタールへの質問箱へ
こんにちはアシュタールさん。 波動の体感についての質問てす。波動を上げると意図しても下げると意図しても何も変化を感じられないです。何かやり方が間違っているのでしょうか、それとも努力が足りないのでしょうか、それとも才能の問題なのでしょうか。 どうすれば波動というものを体感てきるのでしょうか。波動を上げると意図するというとてもシンプルな方法で体感できない人間向けに何か別の方法とかはないでしょうか。 波動を体感する為のヒントがあれば、それを教えていただけるとありがたいてす。 よろしくお願いします。

こんにちは。
結論から言うと、あなたは意図していません。
言っているだけです。言うこと・思うことと、意図することは別のことなのです。
意図すれば上がったり下がったりしますが、言ったり思ったりしても上がったり下がったりしません。
そうですね…。

例えば「立ちあがろう」と思いますよね。
思っただけで立ち上がるわけではないのです。
そこには「本気で」立ちあがろうと言う意図がないといけません。
「あーあ、立ち上がらなきゃな。」と言っても、実際に立ち上がることとは別でしょう?
私が言っている意図は、その後に、「実際に立ち上がる時」に使っているモノのことなんです。
それは思いや言葉ではなく、意図なんです。
まず、波動を感じることは全ての人ができるのです。

あなたは自分の好きな場所に旅行に行って、大好きな人と美味しいものを食べてとても気分がいい状態と、やりたくないことをやらされながら意地悪をされたりと嫌なことがあって怒りを持っている時の状態が、区別できないのですか?
これを読んでいる中に「それでも私は全く同じ状態ですね」と思う人がいるでしょうか?
「どっちの場面でも同じ表情をしていますね」と言えるでしょうか?
もしいたら、それはすでに悟った人か(笑)、ものすごく鈍感で獣と同じくなってしまった人でしょう。
このように波動の体感は誰でもできるのです。
ただ、例に出したのはそれが「外部の条件により」上がったり下がったりする例です。
この外部の条件によって「のみ」上がったり下がったりする状態が、自由意志を放棄した状態、つまり奴隷の状態です。
波動を上げたり下げたりすることは、意地悪された時に「私はそれをどう捉えるかは私が決める」という主体性が必要なんです。
でも大抵の人は反射的に「ヒドイ!辛い!」という状態になってしまう。それは波動のコントロールができていないからです。
じゃあ、もうひと段階進んで、その時にこの質問者のように「波動を上げます!」と言ってみたとします。
しかし波動は「意図」をしないと上がらないので、実際は上がりません。
じゃあなぜ「意図」できないのでしょうか?
それは、例えば「立ち上がる」とか「笑う」とかには意図が許されているのに、自分の精神状態を意図することは許されてないからです。
誰に許されてないかは人によります。
例えば神様と言う場合があります。人生を好転させたいときに、それは神の救いによってもたらされると信じていれば、自分が「波動を上げまーす♪」で人生が好転してしまっては神の仕事がないでしょう?
それは神を超えると言う重大な冒涜なのですから、当然できないようになっています。
それから、親の場合もありますね。自分の機嫌をとってくれるのは親でなければいけない、と赤ちゃんの時に強く思い込んでいる人は、自分の機嫌を自分で取ることに対して負けた気分になって、悔しくなってしまう場合があります。
その時も意図しても、波動を上げたり下げたりはできません。
これら、さまざまな要因によって波動を上げることや下げることの「意図」を禁じられている場合があります。大抵の場合は無意識で、波動を上げますと言ってるのに上がらない!こんなのインチキだ!と思うようになるのです。

波動を自分であげる下げる、をすることはカルトを脱退することになるのです。
だから波動を上げる下げる、を実践する人の中には、その無自覚な自分自身のカルトとの間で引き裂かれて葛藤する人も出てきます。
「なんで波動を上げなきゃいけないの?」とか「放っておいたら、どこまで下がるかやってみよう!」とか「波動を上げるとなんかムカつく!」とかね。笑
しかし、もちろん、葛藤や引き裂かれるということを、そもそも人は感じたくありませんよね。

なので、その手前で「意図できないや〜」って状態を作り出して「波動は才能がある人だけが感じられるものなんだな!」と結論を出して、できないことにするのです。
簡単に言うと、心理的防衛というやつですね。
この心理的防衛が働くのは、何か、自分の主権を奪うような思想(つまりカルト)に洗脳されている状態だからです。
カルトを脱退するというのはとても大変なことですよね。
そこに友達もいる、家族もいる。みんなそうやってやってきた。代々、それを大切にしてきた。
そういうものと葛藤することは大変なことです。
波動を自らの意図でコントロールすると言うことは、それ自体は、大変容易いことではあります。
教えてしまうと、皆さん、うっかり「あ、これ?」とできてしまう。
しかし、その先もコントロールし続けること(特に上げ続けること、高い波動に保つこと)は大抵の人はやりません。
なぜか?
やりたくないからです。
だから意図するのをやめるのです。これまでの様式(外部でいいことがあるように努力する)に戻ります。
自分が主体的に生きることで苦しい思いをすると知っているからです。
この質問者の方も、実は「やりたくない」から「できない」ということにしているだけなのです。
だって、みなさんが「立ちあがろうと思って、立ち上がった」というのはそんなに大変なことではないでしょう?
それと同じくらいとっても簡単で誰でもできることなのです。
でもコントロールの対象は、動作ではなく自分の精神状態ですので、これまで教わってきたことや自分の人生で大事にしているドグマと矛盾することになっていく。
その場合は「波動がよくわからない、上げますと言っても上がらない」ということに『しないといけない』のです。

結論は、なぜ波動を上げます、下げますと言っても変わらないかというと、そこに意図が伴っていないからです。
なぜ意図が伴っていないのかというと、やりたくないからです。
なぜやりたくないのかというと、自由意志と対立するドグマをお持ちだからです。
以上です。ありがとうございました。


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