脱力すると人間は完璧に神様になってしまう

こんにちは!
師走に向けて忙しい日々が続いておりますが皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

私は歌沼・声沼にハマっております。
死ぬほど面白いです…!
私は前から「さとう式リンパケア」とか「ソマティックエクスペリエンス」とかそういうメソッドが深遠すぎて大好きなのですが、歌沼・声沼もまさに同じでした。
どこの界隈にも「コントロール」と「コントロールを止める」両方のメソッドがあって、私は後者のメソッドが大好きなんです。
身体的技法だと、コントロールは「姿勢矯正」とか「ゴリゴリやる整体」とか「肩揉み」とかそういうことで、「コントロールを止める」が「さとう式リンパケア」だったり「頭蓋仙骨療法」だったり「ソマティックE」だったりするわけですね。
ボイトレでもそれが同じでした!
コントロールは「声帯をこうする」とか「腹式呼吸が〜」とかそういうことになり、コントロールを止めるは「何もしない」、「声が勝手に出てくる」とかそういうことになります。
後者はなかなか信じられないんです。
他にもレイキなどエネルギー療法も同じです。「人間は最初から手から治療に使えるエネルギーが出ているが、その流れが悪いので、流れをよくすれば誰でも手から出ます」という話なわけですね。
ただそこにコントロールが入るから出ない。
だから訓練は絶対に必要なんです。
訓練の目的は「コントロール」ではなく「コントロールを止める」訓練です。
結局人間は「筒」ということなんです。
声は「筒」として出せば、何の苦もなく出ます。
「自然治癒力」も同じです。
例えばコントロールは「薬物投与」や「手術」でしょう。コントロールを止めるは「休息」や「体がやりたいことをさせる」です。
大抵のものを直してしまう奇跡としか言いようのない力が人間には各自あるのですが、それは「筒」にならないと発揮されないのです。
「人間がもともと完璧すぎて神」ということなんですね。
そして人間が「神でなくなったのはそれをコントロールしたから」なのです。
例えばトラウマの治療で解離を取るために、何をするかというと、体が動きたいように動くのを邪魔しないということなのです。
しかしこれはものすごい怖いことなんです。
解離した人は、一見ぼーっとしていて、上の空なので、リラックスしているように見えますが、あれは前頭葉(コントロール脳)が暴走して本能や自然な動き(肉体やそれ以外の脳の部分)を支配している状態です。
わかりやすく言えば、「やりたくないことをやっている」状態なんです。
「本能」や「自然な状態」は、やりたくないことに全力で抵抗するでしょう?
それでもやりたくないこと(例えば、虐待を受けるなど)をするためには、全力でその自然な状態をコントロールしなければいけないんです。
理性(前頭葉)は、悪者ではなく理性と本能は50%、50%で拮抗した状態で可能性が100%発揮されます。
「コントロール」は別に悪ではないのです。
「コントロールを止める」ことと協働する形でコントロールを使うと100%になる。
例えば、お腹が痛い時にお腹をさするのは「コントロール」ですが、「コントロールを止める」ためにやっているような感じです。(さすってもらうと、コントロールが抜けて体が力を発揮できるから。)
解離とは、このコントロール自体が目的になって100%に近くなってしまった状態です。お腹が痛いのを治したい時にお腹をボコボコ殴って痛覚を無くせばいい、みたいなことですね。笑
過呼吸なども同じ、コントロールの問題なんです。呼吸は、自然にしてしまいます。意識しなくても。でも意識して息を吸ったり吐いたりもできます。50%、50%でいいのです。
解離の根源は自己否定です。「コレは私ではない」というのが解離で、これが最大のコントロールです。
呼吸しているのは誰だ?私じゃない!「私が」呼吸しなければ!という状態が過呼吸ですね。
だから解離は「自然」をコントロールし、制圧することであって、自己否定、神の否定(筒の否定)です。
解離は、その出来事がもたらす悲劇よりも、解離自体の方が屈辱的なのではないかと思っています。そしてそれが、心の傷になる。
しかし、コントロールをやめて「あれは私だったのだ」と思えると、体がブルブルと恐怖で勝手に震え出し、悔しくて涙が出て、たまらなくなった後には怒りが出てきて、そして、目が覚めるのです。コントロールを止めると、勝手に目が覚めるプロセスが始まります。
それはとても怖くて、とても勇気がいるけれど、そのプロセスを超えて筒になったときに全て報われます。
それで声を出す時も、自然にしてたら出るんです。コントロールをやめれば。完全に無意識なときはいい声が出るんです。
でも「ああ、無意識が歌えばいいんだな」って思うと、無意識は私にこう言いました。
「一緒に歌ってよ。」と。
それは「一緒に歌わないと意味がない」とか「一緒に歌えばもっとすごくなる」ということではなく。
無意識は、私が「無意識になる練習をしなきゃ」って思った時に「違うよ!せっかくなんだから一緒に歌おうよ。あなたと一緒に歌いたいんだよ。」と、言ってくれたのです。
だから50%と50%で、やっぱり私は練習して、私の意識は無意識と一緒に歌わなきゃいけない。しかしそれは「一緒にやる」つまり共同作業であって、コントロールではなく、コントロールを止めることなのです。
神がかり的な歌手が歌っている顔を見ると、みんなすごくリラックスしているのです。
あれは、歌が上手いからそうしているわけではなくて、ああしないと声が出ないから、ああする訓練を(無意識との共同作業の訓練を)やっているのですね。
でも、普通の人は、共同作業ではなく、コントロールをしてしまいます。
体は、エネルギーを通す、筒なんです。
その筒を歪めて、歪めて、歪めて、少しだけのエネルギーを通して生きているのが現代人です。
その「歪める」という行為が「コントロール」なんです。
それで、驚くべきことに、人間は本来「歌う」という機能がついているんです。他にも「笑う」とか「癒す」とか、すごい機能が人間にはもともとついているんですけど(なんのために!?!?)それらはコントロールされて、歪めて、歪めて、歪められた結果、全然できない状態になっているんです。
人間は「筒」として生きなければいけないのですが、歪んで、歪んで、筒はなんか変な曲がったストローみたいになってしまっている。
だから人間は、老けて、弱く、醜く、意地が悪くなっていくのです。
筒になれない屈辱を抱えたまま死んでいく。
それは当たり前じゃないんです。不自然なんです。
現代文明が狂っているだけ。
人間を「筒」にすることが「太陽」の目的のようです。
筒になるための方法はみんな違うけど、目的はみんな「筒」になることです。
空っぽで、何も歪めない。
そうするとものすごく人間は完璧で、神と同一の存在になってしまう。
だからやはり、少しずつ訓練するのですね。みんな目指すところは「筒」なのです。
私は中高年の女性が趣味で声楽をやっている声を聞くといつも涙が出てしまうのですが、スーパーで買い物してるおばさんからこんな声が出るのかと思うと「人間って凄まじい存在だな」と感じるのです。
スーパーで紙とか金属をネギとか大根に交換しているのは「仮の姿」なんです。笑
「筒」に近づけば近づくほど、神がかっていくのです。みんな「筒」には逆らえないのです。
全力で逆らおうとする、それもいいでしょう。でもコントロールの先にあるものは「解離」で自らと切り離された自分自身です。
コントロールの先に報いはありません。そこには疲弊と破滅があります。
コントロールをやめていく努力の先に報いがあり、それは、苦しい道ではなく、少なくとも最後みんな顔が如来みたいになるのです。
そうなれば人間は歳をとることを忘れて、みんなが歌うように生きていく世界になります。
コントロールを止めることは人生においてもっとも難しいことです。
コントロールを止めるためには波動を上げることです。それ以外の方法を私はまだ見つけていません。
終わり


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