こんにちは。ヒーラー・カウンセラーのMicuです。
神との契約関係というのは現代の宗教ではメジャーなことです。
これはエーテルコードを介して行われることが多いようです。
エネルギーを与える代わりに、何かを得ようとするという契約関係ですね。
これは新興宗教に限った話ではなくて、例えば日本人の多くは神社に行ってお賽銭を投げてお願い事をしますが、あれも契約行為です。
崇拝のエネルギーを与える代わりに安心や守護を得たいという「形式」です。
そのようにエネルギーを集めることが現代の宗教の王道でして、それは悪いとか良いとかよりも、ある種の現代的宗教様式なんです。
それに対してアシュタールや猿田彦ような古代の神々は、お布施やエネルギーの供給は求めてきません。彼らは人間が創造のエネルギーを発揮し、自分達と共創することを望んでいます。
前者の契約関係が悪いことで、後者の共創関係がいいことと言いたいわけではなくて、やはり文明ごと、その時々の文明によっての神々との関係のあり方には様式の違いがあるということです。
そして私はなぜか、違う文明の神々のあり方を模索するような人間になってしまっていて、そして彼らがいうには、次の時代はそうなる!と言うのです(本当かよ!)
私は先日〇〇大社という大きな神社に、猿田彦に言われてお参りをしました。
猿田彦は、その場所で何かをするにあたり、霊的な城主に礼儀をわきまえた態度をとるという意味合いでした。彼らから支配権を奪おうという考えはない、と言うことをきちんと挨拶するべきだと。猿田彦は彼らと敵対する意図は一切ない。ただ、神々と共創する人間の子らも増やしたいと思っている。
これは極めて日本的(縄文的?)だなぁと私は感じています。
それで〇〇大社にお賽銭を投げました。これは私の敬意で「その土地を司っているこちらの社の運営費にどうぞ当ててください(お疲れ。的な)」と現物的な意図を持って投げました。
そんで手を合わせて「どうも、こんにちは」とご挨拶したところ、本殿の奥からムッとした声が「なぜおぬしは、エネルギーをこちらによこさないんだ?」不思議そうな、怪訝な目で見られてしまう。
「私は人間なので、すみません」と言ったのです。
「私は自分でやります」みたいなニュアンス。
そしたら奥の存在がずっと身を乗り出して「そう?面白い!」と言って、違うレイヤーの存在に変わったのです。それはその〇〇大社にゆかりのある人、つまりご先祖様だったのですが「自由意志を持つ人間よ、我々の子孫のために仕事をするのか?」と聞かれたので「そのつもりです」とお答えしたところ「力を貸そう!(俺も子孫のために仕事をしたいんだよね!)」と言われました。
「私は引き換えにエネルギーを与えることはできませんよ」とお伝えしたのですが、それでも向こうは「貸そう!貸そう!」というので固辞するのも面倒臭くて「あ〜〜、ありがとうございますぅ。」とそのままお辞儀をして、その場をさりました。
猿田彦に「これでよかったのか」と聞いたら、遠くからニヤッと笑ってた。
私あんまり〇〇大社にいるご先祖様のエネルギーと合わなくて、今でも思い出すと「居心地悪いなぁ」って感じるのですが、まあ、力を借りてみるか…。
あ、だからね。
何が言いたいかっていうと、現代社会ではこのような宗教の形がメジャーでして、別に新興宗教に入っている人じゃなくても、何かこういう行事?に参加したりしてれば、みんなうっすら契約関係になるんです。
それが「メジャーな文化」で別に悪いことじゃないんです。
ただ熱心に宗教活動をされている方は、時々エーテルコードがつながってしまって常時エネルギーを供給してあげちゃう現象も起きています。
それに関しては、私は「そこまでしなくてもいいんじゃないかなぁ?」と思って、その方が(そしてその周りにいるその方を守っている存在たちが)それを望んでいるならば、エーテルコードを切ります。
崇拝している存在が、低級でも高級でもなんにせよ、エネルギーをそんなに個人から供給しなくても大丈夫なはずなんですよ。だから、「これからの時代、それはもういいんじゃない?」って個人的に思います(供給し続けたい場合は、いつでもつながって供給できるし、それは自由だと思います。)
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