私にとってわかってしまうことはわからないことよりも大変だ

人にわからないことをわかってしまうことは大変なことで、それは例えば「言っても信じてもらえない」ということは実は表面的なことなんです。

それよりもっと「そこは見ないふりしてよ」という方がみんなの心の声で。

それに、ずっと傷ついてきて、いつの間にかわからないふりをするようになったのだなぁ。

つまりね、私がわかっていることは、本当はみんなもわかっていることなのですよ。

わかっているけれど「わからないってことになっているから」というみんなの脳の何か?の仕業で、みんなの脳は認識してないけど、みんなの本体は「わかっている」のですよ。

だからそのことをわかってしまう人、は彼らにとって、心地悪いものなんだろうなと思う。

私に嘘は通用しない。

私は「えっこれってどうなってるの?」って問いが頭に浮かぶと、その答えが降ってきてしまう。(しかも現代社会の常識を無視した答えが。)

本を読んでいて「あらっ作者はなんで急にこんな文章を?」と疑問を持つと「その部分は本人のエゴだよ」とかって答えが降ってきてしまう。

「誰かから」答えが降ってくると言うよりは「答え」から答えが降ってくるという感覚。
「答え」に人格はないっしょ?

これって、嘘をつくことで成り立っている社会にとってめちゃくちゃ脅威だよなって思うのです。

例えば「あらっなんだか空気が悪いけどなんでかしら?」って思ったら「ここにお化けがいるからだよ」って答えが帰ってくるとする。

しかしそれになんの意味がある?

ちなみにこのわかっちゃう能力は勉強にはあまり応用できず「あら、問3の答えが全然わからないわ」と思っても「そこは勉強してないから答えがわからない」と答えが返ってくる。真実である。いや、トンチかよ!

話を戻すと「お化けがいる」としよう。

言っても「そんなことあるわけない!!」って否定される。

そのことよりも「(私もなんとなくそんな気がするけどそれを認めたら色々な世界の前提が崩れちゃうんだからそんなこと言いださないでよ!)そんなことあるわけない!」の()の方もわかってしまい、そっちの方がなんか傷つく。

ちなみに()の部分は相手からダダ漏れで、私には発言と同等に「聞こえている」。

しかし「()の部分は私の妄想かもしれないな、うんうん」と自分に言い聞かせて、「そうだよね、変なこと言っちゃってごめん〜気のせいかも〜☆」って笑っておく。

目の前の相手の混乱が、可哀想で。
そして二人の間にある情報量の断絶が、自分の異常によるものなので、強く出れない。

でもみんな、考えてみてほしい。

私にとってそれは、目の前の相手が鼻毛が出てる、っていう状態なんです。

(この人鼻毛出てるなぁ…はっ、鼻毛は出てない!鼻毛は出てない!)

って感じで生きている状態なんです。

だが、その人が「私の顔に何かついてる気がするの、なんでだろう?」と聞かれて「えっと鼻毛が…」と口走ってしまい、全てを台無しにしてしまう。

言わぬが花げ。

もちろん「建前は大事。」と思っていますよ。

「オレ、現代の人間の文化、尊重する。」と思って頑張るのですが。

ADHDは思っていることを言わないでいるのが難しいんです。(急に発達障害のせいに!でもこれまじ)

だから、「鼻毛見えなくなりてー」って思って生きてきたんです。

鼻毛が見えることをカミングアウトしている友達はいいました。

「みくさんが『人間の形」をしているから言われた方がプライドが傷つくんだよね、人間じゃなくて機械か何かだったらいいのに。」

悪気はない友達の顔に、私の門番さんの顔が重なる。

「機械は悲しいだろう?」
「みんなに人間扱いしてほしいだろう?」

「だったらその『答え』を切り離して、隠してしまえばいい。それが一番得意だろう?」

私は人間だ、人間として扱ってほしい。
だったら隠すしかない。

『答え』と無関係なところで生きていくしかないんだ。

でも、それは本当かな?

だって、わかるもんはわかるもん!

ってか、門番さんの言う通りにして、中途半端に隠すから、ややこしいことになるんだ!

隠すことが当たり前になってしまうと、ひとに「鼻毛がバレてないんじゃないか」と変な期待を持たせたり、「実はわかってました」と言った時に動揺させてしまうこともある。

私は自分が知らないうちに、鼻毛見えてないフリが、想像以上に上達しているのかもしれない。

だから「鼻毛出てるよ」と言った方がいい場面でも、言える割合が、自分が思っているよりもずっと少なくて、ブレーキを思った以上に踏んでいるんだなと。

「私の顔になんかついてる?」って聞かれて、「はな…げ…が…でも、私の気のせいかも。でも、鼻毛が…あうあう。(どっち?この場合正直に言った方がいいの?わからない!)」という混乱に加え、「鼻毛」まで言ってしまっていて後にも引けなくなる。

うまくいけば普段の努力によって、「あ、はな…が咲いているね〜〜〜〜綺麗だね〜〜〜」と言ってしまう。

もう「お前ら、頼むから鏡見て自分で気づけ…」みたいな責任転嫁もしがちよね。

なんなら「わかってやってんじゃねーのか」って本気で疑ってしまう部分もあるよね。

だって、見えるから。

普通の人間じゃない人間が普通のフリをしたってどうせバレる。

 

それに『答え』って、人間の”本来の機能”なんじゃないの。

機械は自分の創造の中心から『答え』を取ってくることはできない。
だって機械は、創造主の創造物ではないのもの。

私からすれば『「答え」がわからない普通の人間』が機械だ。

私は人間だ!

機械のフリじゃなくて、人間として、生きてみたい。

 

裸の王様って逸話みたい。「王様は服着てる。乳首はボタン。」と言い聞かせてきたわけ。

でも思いっきり「王様は裸だー!」って叫べるような場所が、私には必要なのかもしれないな。

もしかしたらその叫びを欲している人もいるのかもしれないし。

 

終わり


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