私の実家は、あまりにも私の中で支配力が強くて、かつて「このままでは死ぬ」と思って、しばらく絶縁することにしていた過去があります。
支配力というのはどういう感じかというと、例えるなら、鳥(私)を水中で飼育する感じ。いや、魚ならいいけどね。私は鳥だから。
だから「生きづらい」ではなくて、「死んでしまう!」でした。
そして、いつも、実家の家族に対して「殺す気か!?」という恐怖と怒りでいっぱいでした。
だから、水の中を飛び出す必要がありました。
しかし、長かった実家との攻防戦(というか新しいやり方の構築)がここにきてひと段落し、和解に至りました。
思い切って絶縁したことがお互いにとって功を奏した気がします。
実家は「まさかそこまで本気だとは」と思ったでしょうし、私は「混乱した頭を落ち着けて実態を把握する」ための余裕を得ることができました。
支配合戦から物理的に休戦できて、現実的な折衷点を探っていた期間な気がします。
実家と絶縁してから5年経った頃から、数年かけて少しずつ探っていた再接近の仕方。
でもやっと、支配しない、支配させない、のいい感じのコミュニケーションを取ることができるのではないかな?と私自身イメージができました。
一番影響があったのは、私自身の特性が色々とわかったことです。
第一に、私自身が本当の意味で「自立する」ために。
「世間一般での自立」と「自分にとって自立する状態」は大きく違ったのです。
また、発達障害の見立てにより、過去のトラウマや色々なことの謎が次々と解けていきました。
簡単にいうと「お互いに誤解」していたポイントが明確になりました。
そして誤解が解けてみると、私は両親の愛情の意味がわかり、それは意味が分かりさえすれば受け取れるものでした。(意味がわからないと、意味がわからないので受け取れない。)
また、私が「自立とは何か理解していて」かつ「自立する自信がある」状態であれば、実家の家族に私の生き方や考え方について理解を得られなかったとしても問題はないということです。
そんな気づきをもとに、不安な気持ちを持ちつつも実家に行ったところ、全てが私の気づきの通りに展開していきました。
「あちゃー、やっぱりそうだったんだ!」と感動していたところで、さらに、母が謝罪してくれたんです。
おー!誤解していたのはこっちなのに、謝ってまでくれるなんて!と。
それで、充分すぎるほど報われたなぁーって思いました。
長かったなぁ〜。
でも、自分で色々なことを探求してきて本当によかったです。
そんなこんなで、和解と、持続可能な関係構築に向けて前進しました。
私は、生まれた時から鳥でした。
でも実家の家族は魚でした。
ずっと魚になれない自分を矯正しようと努力してきて、辛かった。
そして、家族に自分が鳥であることを少しは理解してほしい!とか、いつかは認めて受け入れてくれるのかな、とか期待をしていました。
魚は魚でテンパって「この子が魚になれないのは自分たちのせいなのかも!」とより水中での飼育に血眼になっていたようです。
子供の私は「いつか自分を受け入れてくれる優しい家族と、仲良く過ごしたい」と妄想していました。
そのために全力で努力していた気がします。
けど、今になってみると、親戚やご近所さんくらいの、自立した他人の集まりという感じの、ドライなこの家族も悪くないな、と思ったりもします。
もう大人ですしね。
私が鳥なのは、家族が受け入れる必要はなく、鳥は鳥でした。
鳥であることを自分が受け入れることが大切だったのです。
家族は鳥を見たことがないので今後も「これなんか魚じゃないけどなんだろう?」くらいしか理解できないと思います。
でも私は鳥でした!そして、それでも私には価値がありました。(前々回の記事の話)
私にとって、親子の自立問題は大変なことでした。
親から自立するのは難しいことです。
だから子供の方から頑張るしかない。
頑張って飛び出て、自立して、それを見て、親もやっと自立する。
その順番なんだなぁ、って思います。
今は、魚の真似をして水に突進することもなく、
溺れてその水に大波を立てることもなく、
綺麗な川辺の木の枝にとまりながら、魚たちに会いにいくことができます。
この形を見つけることができて、本当によかったです。
アシュタール、私に波動の秘密を教えてくれて、ありがとう!
支配力というのはどういう感じかというと、例えるなら、鳥(私)を水中で飼育する感じ。いや、魚ならいいけどね。私は鳥だから。
だから「生きづらい」ではなくて、「死んでしまう!」でした。
そして、いつも、実家の家族に対して「殺す気か!?」という恐怖と怒りでいっぱいでした。
だから、水の中を飛び出す必要がありました。
しかし、長かった実家との攻防戦(というか新しいやり方の構築)がここにきてひと段落し、和解に至りました。
思い切って絶縁したことがお互いにとって功を奏した気がします。
実家は「まさかそこまで本気だとは」と思ったでしょうし、私は「混乱した頭を落ち着けて実態を把握する」ための余裕を得ることができました。
支配合戦から物理的に休戦できて、現実的な折衷点を探っていた期間な気がします。
実家と絶縁してから5年経った頃から、数年かけて少しずつ探っていた再接近の仕方。
でもやっと、支配しない、支配させない、のいい感じのコミュニケーションを取ることができるのではないかな?と私自身イメージができました。
一番影響があったのは、私自身の特性が色々とわかったことです。
第一に、私自身が本当の意味で「自立する」ために。
「世間一般での自立」と「自分にとって自立する状態」は大きく違ったのです。
また、発達障害の見立てにより、過去のトラウマや色々なことの謎が次々と解けていきました。
簡単にいうと「お互いに誤解」していたポイントが明確になりました。
そして誤解が解けてみると、私は両親の愛情の意味がわかり、それは意味が分かりさえすれば受け取れるものでした。(意味がわからないと、意味がわからないので受け取れない。)
また、私が「自立とは何か理解していて」かつ「自立する自信がある」状態であれば、実家の家族に私の生き方や考え方について理解を得られなかったとしても問題はないということです。
そんな気づきをもとに、不安な気持ちを持ちつつも実家に行ったところ、全てが私の気づきの通りに展開していきました。
「あちゃー、やっぱりそうだったんだ!」と感動していたところで、さらに、母が謝罪してくれたんです。
おー!誤解していたのはこっちなのに、謝ってまでくれるなんて!と。
それで、充分すぎるほど報われたなぁーって思いました。
長かったなぁ〜。
でも、自分で色々なことを探求してきて本当によかったです。
そんなこんなで、和解と、持続可能な関係構築に向けて前進しました。
私は、生まれた時から鳥でした。
でも実家の家族は魚でした。
ずっと魚になれない自分を矯正しようと努力してきて、辛かった。
そして、家族に自分が鳥であることを少しは理解してほしい!とか、いつかは認めて受け入れてくれるのかな、とか期待をしていました。
魚は魚でテンパって「この子が魚になれないのは自分たちのせいなのかも!」とより水中での飼育に血眼になっていたようです。
子供の私は「いつか自分を受け入れてくれる優しい家族と、仲良く過ごしたい」と妄想していました。
そのために全力で努力していた気がします。
けど、今になってみると、親戚やご近所さんくらいの、自立した他人の集まりという感じの、ドライなこの家族も悪くないな、と思ったりもします。
もう大人ですしね。
私が鳥なのは、家族が受け入れる必要はなく、鳥は鳥でした。
鳥であることを自分が受け入れることが大切だったのです。
家族は鳥を見たことがないので今後も「これなんか魚じゃないけどなんだろう?」くらいしか理解できないと思います。
でも私は鳥でした!そして、それでも私には価値がありました。(前々回の記事の話)
私にとって、親子の自立問題は大変なことでした。
親から自立するのは難しいことです。
だから子供の方から頑張るしかない。
頑張って飛び出て、自立して、それを見て、親もやっと自立する。
その順番なんだなぁ、って思います。
今は、魚の真似をして水に突進することもなく、
溺れてその水に大波を立てることもなく、
綺麗な川辺の木の枝にとまりながら、魚たちに会いにいくことができます。
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