さよなら門番さん

こんにちは。湘南・二宮のレイキヒーラーMicuです。

門番さんと3ヶ月くらい戦っていました。

波動を上げていき、自由に近づくと自分が一番怖くて、ありえないと思うものが近づいてくる、それが門番さんです。(門番さんについてはこちら)

えーと、私が門番さんを刺激するインスピレーションを受け取ってしまったのは今年の1/2の「あけましておめでとう」の記事ですねぇ…。

それは自分にとって大切な、生活基盤を手放すという考えでした。
恐ろしい!!!!!!
しかし、それをしないと生活が破綻するんだ、ということに思い当たってしまいました。
なんで!??!?!?!?!?!?
波動あげは本当に本当に恐ろしいです。本来の自分にかえるのは本当に本当に恐ろしいことです。

もう、本当に、そのまんまやんね。

私は3ヶ月も「おれ…シゴト…ヤメル…」というインスピレーションと、門番さんの闘いを繰り広げて、無事、戦い抜いて、もう、とりあえず、よーーーーーく、わかった。

辞めるわ

何もかもうまくいかないのは辞めないからだと気づいてしまったから。

仕事悪いわけじゃなくて、順番の話です。

つまり、私がうまく私を廻せないのは、余白がないからなんです。

余白がないところで廻そうとしているからうまく回らない。

余白を作る→やりたいことを全力でやる→うまくいく

この順番です。

余白はないが、やりたいことを頑張る→うまくいく→余白を作ってもよーし

の順番では「うまくいく」が永遠に来ないから、永遠に余白は作れないからです。

終わり。

余白とは、その人を「圧迫しているナニカ」を手放すことで生まれます。

圧迫している何かとは、「無理していること」「エネルギーを奪われてるもの」「でもエネルギーを奪われたいと願うもの」「エネルギーを奪われてないと逆に不安になるモノ」。

門番さんって、その人が一番執着してるものをグイッと刺してくる。

それが人にとっては家族だったり。
それが人にとっては能力だったり。

みんな門番さんの前では、怖くなっちゃって「もう波動なんてあげない」「自由なんていらない」「私はこのまま歳をとって死ぬ…」となってしまうのです。

いつも私が一番怖いのは、安定を捨てることです。

思えば、本当は去年の年明けには仕事を辞める予定だったのです。つまり、一昨年の末の時点で。その時は派遣の身分だったので割と気楽に「来月は更新しません♪」と言えました。

しかし、そこで、退職までの1ヶ月を一生懸命働いていたころ「後任の人が見つからない…時給もアップするから続けてちょ」と打診されて、グラっときてしまった。

「そうね…(う〜ん、これも神様のお導きかな⭐️(門番さんのお導きデス⭐️))」

実は、もうこれ、いつものパターンなんですわ。

比較的安定的な場所で働いて、自分のやりたいことじゃないからどんどん辛くなるんだけど、労働者としての能力は評価されて、どんどん辞めにくい感じになっていく。

でも結局辞める→運命の輪が大回転→確変、なんすよね。(知ってるケド〜)

ここ。

ここに本当に門番さんがいる。

「人はちっぽけな存在だ、一人で社会に放り出されても、ただ溺れ死ぬのみ」
「安定、それは何よりも得難き財宝、一度手に入れたら手放すべからず」

という門番さんがとうとうと語ってくださる有難い説教が、頭の中をぐるぐる回って、安定を求めて、つまらない報酬を細々と得て、眠って毎日過ごしてしまう。

ぷうぷう、毎日よく寝るぷう。

波動が上がると、たくさんやりたいことが思い浮かぶ。

あれも、これも、全部、やりたい。

私ならできるカモ。

そう思う。

でも、仕事があると物理的に「あ、やっぱできなーい😊」と自分にセーブがかかってしまう。

立ち止まってしまう。

そもそも仕事辞めるのは「あり得んっしょ」と思っているから「できないのもしょうがない、それが人生」と自分に言い聞かせる。

でも私の頭の中(門番さん)が描いている「夢」「理想」の実体は本当におぞましい。それはキラキラした魔法の粉みたいなのが降りかかっていて「アレェ〜チカチカしてよく見えないけどなんか綺麗ぇ」と思うんだけど実は自分の死体。

私はなんでもいいインスピレーションは爆速でやる。そしてその爆速のエネルギーたるや凄まじいものがあり、見ている人々を楽しませ、熱狂させ、なんか知らんけど「見つけました!」みたいに言ってくれる人が現れてとても楽しいことになるのだ。

しかし、ここで「明日と明後日は仕事だから、その次の休みにやろ…」というので、もう物理的にエネルギーは失速してしまうのである。ここで失われるものは単に「楽しい状態」だけではない。それは生きる充実感であり、自己肯定感であり、そして創造的行為、全てが失われる。

この爆発的なエネルギー。

それは創造のエネルギーだ。

哲学者ベルクソンの「創造的進化」のあらすじにはこうある。

生命は、「生の弾み“エラン・ヴィタル”」を起爆力として、不断の変形を重ねてきた。目的的ではなく、多様な方向に自由な分岐を繰り返す生命の進化の過程―それはわれわれの意識にも通じるものである。

いや、ごめん、この本読んだことないデス。いいこと言うやんと思って引用しただけデス。

でもこの文章に完全にその通りで、この創造のエネルギーによって突き動かされる感じ、っていうのは、目的的で一方向の考え方によって縮小していってしまう。

目的的で一方向の考え方というのは「ああすれば、こうなる」という狭く、予測可能なもの。
「今月は、○時間働いたから、○万円だな」みたいな頭の中の動き。
「この人と一緒にいれば安心」みたいなやつ。

私は○時間働いたから○万円という仕事の仕方はもうめちゃくちゃ壊滅的に向いてない。それよりも今爆発しているこの「気持ち」の方がずっと重要で、しかもこの爆発している、みんな!!!!!!こんなの考えたよ!!!みたいな気持ちに、価値が生じていくのである。

怖いよ〜(門番さん出てきたw)

それらは、私にとって得難い何かを手に入れさせてくれ、私は本当はそれが欲しいのである。

怖いよ〜。

馬鹿みたいなカラクリに騙されて続けてる、何度も。

怖いよ〜。

ああ、辞めよう。

すぐに死ぬわけじゃないし。ってかもうこんなの死んでるようなものじゃないか。でも私は生きてるって思いたくて、がむしゃらにやってきた、この3ヶ月。

それでわかったよ。

私が間違ってたことが。

門番さん、さようなら。

ここまで導いてくれている根気強い守護霊たち、

本当に優しいね。

たくさん、わがままを聞いてくれて、ありがとう。

私は、仕事をするのだ。

仕事をするために、仕事を辞めるのだ。


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