自由の「匂い」

こんにちは。ヒーラー・カウンセラーのMicuです。
部屋の模様替えをして、家中を浄化した。私が私に戻ってくるような不思議な感覚。
ふとした瞬間に、朝目が覚めて、とか、お湯を沸かして、とかした時に、「自由の匂い」が鼻を掠める。
最初は「気温が上がって、春の匂いが部屋にも入ってきたのかな?」と思ったが、どうやらそうではないようだ。
自由には「匂い」がある。えっと、幻覚とか、比喩とかじゃなくて「自由の匂い」は「みかんの匂い」みたいな感じで、「匂い」がある。
きっとそれを、みんなも知ってる。
自由の「匂い」をかぐと、途端に私は安心してしまう。
パートナーとお別れした時、会社を辞めた時、どっひゃー!と思ってる反面、何か既存のシステムに適応するための全ての我慢や無理が、自分では過小評価して「それが当たり前、そんなのみんな我慢してる」と思っているものの、実際的な大きさを思い知る。
「えっ、でも、もういいのか?」と思うと、胸や、鳩尾や、腹筋のあたりが緩んで、呼吸が楽になる。
こういう大きな人生の壁がバーンと割れてしまう瞬間は人生に何度かあり、システムへの適応が煮詰まりきって限界を迎えてしまい、その時一番怖いこと(執着しているのモノを辞める)が目の前に迫ってきた時に、漂ってくるのだ。
自由の匂いが。
それが「もしこれが無かったとしたら?」というタブーが顕在化する瞬間。
この匂いが漂ってくると、もう「もっと頑張れる!」とか「辞めたくないし!」と、いくら頭で念じても、絶対に勝てないのだ。
これはもはや、私の人生では1度ならずとも繰り返すパターンになっており、何らかの「シナリオ」を形成しているように思える。
私が望むと望まざるとに関わらず、また、私が波動を上げようと下げようと関わらず、私には「自由の匂いに抗えない本能」みたいなのがインプットされていて「そのシナリオ」に向かって全力で突き動かされているような感覚に私はおいちいる。
中学時代に養老孟司先生の本を読んで「システムつらい、システムおかしい、わかってくれる大人がいた」と言って号泣した時から、今に至るまでのシナリオが、決まっているような感覚に陥る。
それはどんなシナリオかというと「人間をやめる(システムを出る)」というシナリオである。
そして「社会システム」との接続を切るたびにこの「自由の匂い」が私を安堵させる

どうやら私は、脱システムという生き方をする人間みたいだ。
こうして「本来の場所」に、どんどん近づいていく。


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