こんにちは、Arcturus Healing Placeのヒーラー Micu(みく)です。
言葉のナイフってね「何を言っているのか」は問題じゃないんです。
例え「あなたのためをおもって言っている」と本人がそう思っていても、発している鋭い”エネルギーの槍”が、相手のオーラを突き刺して心臓に突き刺さる。
言葉での攻撃って、つまり「決めつけ」なんです。
例えば「ブス」と言われたら、それは不快かもしれない。でも「あなたは美人だから」と言われるのも、ニュアンスによっては同じくらい不快かもしれません。
それは「決めつけられる」という不快なんです。
決めつけは、何よりも鋭い波動の攻撃です。つまり、呪詛の一種です。他人が「形」を決めるということです。波動を歪ませ、変形させ、破り捨てます。
私は、見えないものを見る力とは、お化けを見たり、オーラを見たりする力じゃなくて、決めつけない想像力だと思うんです。
例えば、平気そうなふりをしている人に「あれ、ちょっと無理してない?」と感じる力だったり、挫折をした人が元気そうにしている時に「きっと大変な思いをして立ち直ったんだろうな」と気づく力だったり、ちょっと様子がおかしくなっている人に「色々事情があるんだろうな」と思ったりする力だと思います。
私はそれを共感性知性と呼んでいいと思う。
例えサイキックが発達していてそれを仕事にしていたとしても、共感性知性が発達してないと意味がない。そんなものは霊感と呼びたくない。
私だってある人の行動の一部だけを見て「嫌な人だ!」と思うこともあります。迷惑をかけられたら「勘弁してくれよ!」と思うこともある。
でも相手はとりあえず色んなことを考えて、良かれと思って色んなことをして生きている、一生懸命、生きている同じ生命なんだ、という考え方を失いたくはない。
人間には大切な「見えないものを見る力」があります。
それは、共感性知性です。
人間の、最も高度で発展した能力の一つです。
高度なものだから、難しい。霊感なんかよりも、もっともっと神聖なもの。
あと他人に「決めつけ」の呪詛をやってしまう側になる時もあると思います。
私にも、振り返ればたくさん経験があります。
どうしてそんなことをやってしまうのかというと、大前提として、自分が自分のことを「決めつけている」からなんです。
私はこういう人間だ!!とか、こうでなければいけない!!とか、そういうもので自分をガチガチに縛り付けていることが原因です。
だから過去の経験に罪悪感を持ってる人に必要なのは、反省ではなくて。
自分を受け入れることです。
「少しずつ、自分を決めつけるのはやめよう。私は、私のままでいい。私ができないことは、できないし。できちゃうことは、できちゃうんだ。」というふうに自分を受け入れていくことが大切だと思うのです。
「私のままで、いいわけない!」と拗ねてしまっている自分を、優しく抱きしめてあげて、撫でてあげてくださいね。
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