何かに所属するのを諦める

こんにちは、みくです。

この時代の大きな変化を一言で言えば、「何かに所属するのを諦める」ということに尽きるのではないでしょうか。

それは途方もなく不安なことでもありますが、時代はそちらに動いているとしか思えない。

何かに所属していたら、やはり、その所属からの影響は逃れられなくて、これまでのような「いいとこ取り」は難しいんだろうと思います。

例えば何かの資格をとって、どこかの協会に所属して活動するということ。

もちろん資格がダメだとか、協会がダメだとか言わないけれど「そうしていれば安心だ」というのとは程遠い世界になっていると。

例えば医師免許は大変立派な免許ですし、素晴らしいお医者さんもたくさんいらっしゃいますが、医師が言うのであれば安心だ〜!みたいな世界ではもはやない。

自分自身、誰かのサービスを選ぶとき「〇〇認定だからこの人にしよう!」という選び方をしなくなってきている。

同じように、〇〇会社にいれば安心だ、といったことも、もはやなくなってきている。〇〇の製品だから大丈夫だ、ということもだいぶ怪しい。

一人一人の誠実さが、技術が衰えたとは思わないのです。

きっと「組織力」みたいなもので価値を出していた部分、そして「所属」ということで共有していた幻想が、どんどん解けてく。

人は、一人では大きなことはできません。

しかし大きいことはしなくてもいい。一つの電力会社が、全部の電気を供給しているより、〇〇村の〇〇電力、といったように大きくないことの方が、逆に安全なのではないか。

もし〇〇村がヤバい時は、△△村がある!と思えた方がいい。

細々とご縁のあった人に施術をする日々で、きっと私は、自分のことを「〇〇村の発電機」みたいなものと感じているのです。そのことが、安心でもあり、不安でもある。

でも、送電線を張り巡らせ、電気をロスしながら、災害時には全部無くなっちゃうようなやり方をする時代ではないのかも。

不安になると「もう何かに所属するのは諦めなさい」としつこく諭されています。

これまでは、そのことを「私はどこからも必要とされてないんだー私の居場所なんてないんだー」って嘆いていたけれども、そうじゃないのかも?と思うようになりました。

これまでは、何かに所属するというのは、メリットがたくさんありました。

それだけで人から信頼してもらえたり、生活を保障されたりするので、そのメリットはとても大きいものでした。

けれど同時にそこで発生する縛りみたいなものを、受け入れる必要がありました。それは自然なものではなくシステムというとても人工的で不自然な縛りでした。

でも、メリットはどんどん減っていく気がします。

学校教育などもそうですね。これまでは「とりあえず学校は出た」とか「〇〇卒だ」とかいうことは社会の中でとても信頼感があって、価値が高いもので、みんなそこからこぼれ落ちないように必死で頑張ってきました。

けれど、どんどん、学校に行けない子供が増えてきた。私は今の子供達に本当に救われます。適応できないけれど、才能豊かで、心が優しい子供たちの多いこと!

適応できないのは自然なことです。人はメリットがデメリットを上回るものにしか力が湧かないものです。生物として当然です。

そして、もはやデメリットがメリットを上回ってしまったことを彼らは物語っている。

これまでの職業のすごく多くが、10年後には存在しないとかいうじゃないですか?そして、きっと10年後にはまた無数の新しい職業とも言えぬ職業が生まれていくのでしょう。

私は彼らよりもOLDな人間だから、ついつい「所属してぇ〜」という発作が起きることがあるのですが、この発作を起こすたびに「違うやろ!」という激しいツッコミが入り、のたうち回っています。

私はもう私でしかない。職業名も存在しないし所属先も存在しない。できることはあるから、ただ、できます!とそれを提供していく。その方が、逆に社会の中に確固たる居場所ができるのかもしれないな、と感じています。

怖いけれど、どんどん色んなものを手放していく。


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