直せないほど壊れたものは直す必要がない

皆さんこんにちは、みくです。

私のへっぽこで支離滅裂なブログでも楽しく読んでくれる人がいるという声をいくつかいただくタイミングだった。

ゆるんでいく日々、という名前もなんとなく変えたくなくて、サイトを作った時も残している。

でも、そんな「ゆるいわよ」と言わんばかりのタイトルだが、過激な内容だったり、絶望的な内容だったりを書いてしまうブログです。

私のところにたどり着く人はみんな過激だし絶望がある。

だからセッションは、どんな時でも明るい。

どういうことかっていうと、お通夜みたいな雰囲気とか、暗いとか怖い雰囲気とかって逆に軽いからです。そっちに持っていくと、本当に浸りたいモノには浸れない。

みんなが生き抜いてきたバッググラウンドはそんなに簡単な話ではないし、生命力というものはあまりに偉大だから我々が暗くなったりしたところで意味がない。

必要なのは同情でもないし慰めでもない。

ただ壊れてしまったことについて自分自身で触れたいだけ。

その衝動が、治療の場に人を運ぶのだ。

「私、壊れちゃってますよね」と聞かれて、「壊れちゃってますね」と答える。

「直せますか?」と言われたら、「直せないですよ」と答える。

壊れている自分と、治らなきゃいけないと思っている自分。

その間にある乖離が、本当の「症状」だ。

わかりますか?

壊れていることが症状なんじゃないんです。

治さなきゃと思ってる自分との「乖離」が症状なんです。

直せないほど壊れたものはもう「個性」です。

あなたはその「個性」を「生きること」自体が生まれてきた目的です。

そしてね、不思議なことに、そう思ってあげると、ちゃんと時間が進み始める。

「壊れている自分」と「治したい自分」。

私のところに来るのは「治したいアナタ」だけど、私が認めるのは「壊れたアナタ」であって、それは、何を隠そう「個性」なんです。治す必要がないんです。

本当に求めてる治療は「治すこと」じゃなくて、

治さなきゃダメと思っている自分と、壊れざるを得ない事情があった自分の間で、引き裂かれてしまうことを、落ち着かせること。

それは、もしかして「個人」と「社会」のような関係性なのかもしれない。

社会は常に個人を圧迫し、個人は常に社会を混乱させる。しかしこの双方が一人の中で調和して生きていくことが、本来できるし、本来そのようになっているのです。

個性を治さなきゃ生きていけないなら、もう死んでるよ。

そうわかると、折り合いがついてきて「生きていけるじゃん」とわかる。

壊れてても生きてきたじゃん。

これからも壊れてても、全部与えられて生きていけるよ。

生きていけるじゃんとわかると、不思議と、壊れていた時計の針が進み始める。

もう直らないと思っていた時計が。

で、ふとした時に「あれ、やっぱり壊れてるじゃん」ってなって。

「まあいいか」って笑って。

壊れちゃったものは元に戻らないし戻す必要がないよ。

そうやって生きてきたことの、生きていくことの尊さに、いつでも気づいてあげて。

そこに、意識で、落ち着いて触ると「治ります」。


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