「食事の正解」

こんにちは、みくです。

数日前…いや、1週間前くらいからずっと「食事」というキーワードが頭をよぎっている。

私は一人暮らしで一応自炊民である。引っ越してからキッチンが広くなったから料理がしやすくなって、土鍋でご飯を炊いたり発酵食品をして楽しく暮らしていく予定だったのだ(ってかそれらはやっているが)

でも日々の生活の中で「私はまだ食事の正解を見つけてないな」ということがずっと引っかかるようになって、だんだん、毎日何を食べたらいいのかわからなくなってきた。

この「正解を見つけてないな」って感覚は、断捨離を始めてからすごく鋭敏になって、だんだん「正解の見つけ方」みたいなコツを掴めるようになってきた。

「正解」ってつまり「一旦洗脳を解いた状態での自分のベスト」である(ライフハック)

この「一旦洗脳を解いた状態での」ってところが非常に重要なポイントで、いろいろな常識を捨てようとしている中で、全く手付かずで未開のポイントが「食事」だった。

例えば1日3食食べるのはエジソンの洗脳みたいな話をまことしやかに語られているが、自分にとってそれじゃあ1日どのくらい何回食べればいいのかをしっかり検証するのは非常に面倒だ。

「単純に自炊に疲れてしまったのかも、献立を考えるのや、買い物に疲れてしまったのかも」とも思ったが、今日試しにお惣菜を買ってきて食べたいものを食べる!をやってみたところ問題はそんなに浅いところにはなさそうだ。

なんていうか。食べていても「美味しくない」と感じることが多い。最近、美味しかったという記憶があるのはカプレーゼだけ。なんだかうつ病の人みたいに食事に味がない、というか、何か間違ったものを食べている感覚。(精神的には元気です。)麻薬的に絶対に美味しいだろう味の濃いお惣菜やパスタソースなども「美味しい…のかな?」みたいな感じになってしまう。(「アレェ?美味しいはずだよね?」みたいな困惑)

節約がしたいわけじゃない、自炊が面倒なわけじゃない。

ただ「何を作ればいいのか」「どのくらい食べたらいいのか」が突然、わからなくなっただけ。というか「わからないのに頑張ってなんとなく付いて行ってた(世間のウェーブに)」部分が急にすごく億劫で苦痛に感じるようになってしまったのだ。

最近は気づくと「どうしよう!何を食べよう!」と考えて憂鬱な気分になる。そしてまあ、納豆ご飯の日もあれば、ちゃんと作る日もあるけれど、どれも「うーん、これじゃないんだよなぁ」ってなってしまう。

今の所気になるワードは「一汁一菜」

「重ね煮」という概念

アフロ仙人の教え

この辺りに手を出すかすごく迷っている現在です…。

ところで、この最後に紹介した「稲垣えみ子さん」という仙人の「寂しい生活」という本を少し読んでみて「うわ、私も、仙人に近づいてる…!」と引いてしまった。私は全然、仙人になることを望んでない。

しかし、週に1回Tシャツを一枚捨てるみたいなことをやっているこの道は、確実に仙人の道だ…!と。

仙人になるのは嫌だけど、衣・食・住の洗脳を解くこの開放感、爽快さに、今後抗えるとは思えない…そしてこの「普通でいたい」の気持ちでなんとなく世間の波に付いて行っていた食事、というものが、なんだかとても、急に、怪しくて。

なんか「これ食べなきゃ普通じゃない」みたいな気持ちとか、「このくらいは食べないと変だよね」という気持ちとか「料理はこうすべきなんだろう」みたいな気持ちとかが全部、急に、邪魔なものとして浮かび上がってくる。けれど、その気持ちに従ってご飯を食べる以外の方法を私はまだ知らない!

ビーガンや健康食みたいな意識たかいことじゃなくて、自分にとって自然に納得できる「人間そうできてる」というものを、食事においても見つけたい。


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エネルギー治療者、ヒーラー&カウンセラーのみくです。大磯町のサロンにて、個人セッションを提供しています。read more