刺激に疲れていたんだ

こんにちは、みくです。

料理に疲れているのか、買い物に疲れているのか、何を食べても最近味がしない…と悩んでいたある日のこと。

たまたま早起きした日があり、その日はたまたま土用の間日で、これはチャンス!と庭で草刈をしていた。(早朝は嘘のように涼しい)

すると隣の畑の人から、万願寺とうがらしと、ピーマンと、バターナッツカボチャをいただいた!新鮮なもぎたての野菜はすこぶる美しく、すごく嬉しかった。

しかしこれだけの量、どうやって食べよう?と「ピーマン 大量消費 レシピ」とかを検索し始めると、どんどん気が重くなる。ピーマンとツナ缶か〜、ツナ缶ないから買ってこないと。万願寺とうがらしは、ジャコとたいたんが美味しいらしいな。ジャコないから買ってこないと。それで、大量に作って、小分けにして冷凍とかする?うーん、とか、色々考えているうちに、最近の「何かがおかしい」という気持ちがどんどん膨らんでいく。

そこでふと思いついて、もう何も考えずに、万願寺とうがらしを焼くことにした。フライパンに火をかけ、万願寺とうがらしをぶち込む。(油とか使わない)

「万願寺とうがらし」という食べ物を食べたことがないので、自分の偏食が怖くて、3本くらいにしておこうと思った。

じっと万願寺とうがらしを焼きながら、私は、万願寺とうがらしが焼くとどうなるかとか、どのくらい焼けば食べれるのかとか知らないな…と気づいた。

だから、じっと万願寺とうがらしを観察して、何か「パチパチ」とたねか何かが弾ける音を頼りに、自分の本能が「これは食えるぞ」という柔らかさや焼き色になるのを待った。

土鍋で、ただ今、食べたい量だけのご飯を炊いて、焼いた万願寺とうがらしと食べることにした。

いつもなら、食事の時にyoutubeなどを見てるが、この日はその余裕がなかった。味がないのは流石に不安で、鰹節をかけて、自分で作った醤油麹を添えた。

恐る恐る小さなやつを食べてみる「うっ、結構、苦いんだな」と思った。次に大きなやつを食べてみる「あっ!これは苦くない…!」

そんなことをしながらyoutubeなんて見れるはずがない(笑)

3本で十分、飽和量である。

「食べる」という行為はこんなに刺激的なものだったんだ!

この日は、いつもご飯に何かをかけて食べる(卵や納豆やふりかけや昆布など)のをやめた。「あれっ!ご飯が美味しい!」と衝撃を受けた。

いつも卵とかかけても「なんか美味しくないなぁ、土鍋で炊いたのになぁ」と思っていたご飯が、美味しい。いつも私には多い量、でも「後でお腹が空くのが不安だから」とついつい人並みの量にしてしまう、それも勇気を出して少なくしてみた。

そうか、そうか、私は刺激に疲れていたんだ。と唐突に理解した。

じっくり感じることのできる量を圧倒的に超えた「刺激」についていくのが必死で、youtubeを見ながら流し込むことしかできなかった。

「獣の鋭さ」をあえて鈍らせる感じがあって苦痛だったのだ。だってたとえば添加物ぎっしりのものを食べて「うっこれは毒だ!」と感じてしまったらどうしよう?作り過ぎてしまったおかずを前に「一口以上食べられない…」と感じてしまったらどうしよう?と、そんな感じで。

ものをスーパーで買ってくるのも刺激だった。スーパーは刺激的すぎる。でも買わないといけないと思い込んでいた。料理(という思い込み)を作る行為も、強すぎる刺激だった。だから、味が濃くて確実に美味しいであろう、外食をしてもお惣菜を買っても「違う!」って感じがしたんだ。逆だったんだ。刺激が強すぎたんだ。

じっと「パチパチ」と弾ける音を立てる万願寺とうがらしを、ゆっくりフライパンに押し付ける。これでいい。十分刺激的だ。

それなのに、私は料理を、何かを2、3品くらい、切ったり刻んだりなどし、油などで何かしら火を通し、うまみのある味付けをすることだと思っていた。それも、飽きないように毎回違う味付けをするべきで、炒め物だけでなくスープや煮物、オムレツなど、華麗にアレンジする必要があるもの。

「私が間違ってたんだ…」と一人で呟いた。

2、3品くらいというのは買ってこないとまかないきれない。

刺激が増えれば増えるほど自分は麻痺していく。

刺激が強すぎて「感じる」のをやめてしまう。

この日の食事は、衝撃的だった。

強烈に「生かされている」という感じがした。

生きることは「感じること」なんだ。

感じないように生きていると、生きている実感がなくなっていくんだ。


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エネルギー治療者、ヒーラー&カウンセラーのみくです。大磯町のサロンにて、個人セッションを提供しています。read more