こんにちは、みくです。
どうして物が減ると、直接それと関係なくても、出来なかったことができるようになるんだろう?とか、頭がスッキリして、心の風通しがよくなるんだろう?と思っていたのです。
実は「食事」についていくつか発見があって、それはそのことと繋がっていたのです。
食事を作る、つまり料理する目的は「感じること」でした。いや、目的は「美味しいメシを作る」ためですが、そのためには「感じる」という工程が最も重要で、この感じる、という工程を抜いてしまった料理は抜け殻のような味がします。
料理はマルチタスクと言われますが、私は普通以上にマルチタスクが苦手。
だから思い切って「マルチタスクを禁止」にしてみたのです。たとえば冷やし中華を作るとき、まず、フライパンで錦糸卵を作る、そしたら、きゅうりを切る。ハムを切る。錦糸卵が冷めているので、それを切る。そしたら鍋を出してきて、お湯を沸かす。冷凍のエビを茹でる。それを出して、麺を茹でる。
その作業一つ一つをシングルタスクで「ながら禁止」で、丁寧にやってみたら、めちゃくちゃ楽しくてびっくりしました。それと同時に、一つの材料を切るだけでも、じっくり食材や加減を感じながらやると、かなりの刺激があります。これを麺を茹でながら「やーっタイマーがなっちゃった!」とか思いながらできない。
そんなにゆっくり丁寧にやって、ものすごく時間がかかるんじゃないですか?
と思うじゃないですか。
かかるんです。
だから「あ、これは普段の食事ではないのだ」と理解できました。
つまり、私は「料理は家事」だと思っていたのですが「料理って娯楽なんだ」って気付きました。
相互して考えてみると、なるほど、「ハレ・ケ」があるのはそのためなのだ。
と思った。
ハレ・ケでいえば、冷やし中華なんて完全なる「ハレ」の食事です。
それ以外にも、回鍋肉や、サラダと洋食といった2品以上の食事、具の多い焼きそばなど。それらは「あまりにも刺激が強すぎて、普段は食べないもの」「毎日食べないもの、特別な時だけに用意するもの」なんです。
イメージで言えば、盆と正月に朝から晩まで台所にいて女たちが料理を作っているイメージ。
食べるという作業についても同じです。
私はこれまで「栄養を摂るため」「空腹を満たすため」といった目的でご飯を食べていたのですが、それは全くの間違いだと気づきました。
食事の目的は「味わう」というエンターテイメントだったんです。
これもまた、ものすごい刺激です。
さまざまな食感、温度、質感、におい、味などが混在している。
それを普段の食事として毎日食べていたら、どうなってしまうか。とにかく膨大な刺激に疲れて、毎日消耗して行ってしまうのだ。そして、麻痺が進み、もっと強い刺激じゃないと刺激に感じなくなってしまう。
だから、たくさんの食材を使ったり、たくさんの調味料を使う料理は「ハレ」の料理です。
お祝い事や、特別な時に行う。時には複数の人で手分けして行う。
普段の刺激が少ないと「感じること」ができるので、特別な時に食べる刺激的な食べ物(ご馳走と言われるやつ、複雑な料理、洋食や中華料理のような外国の食べ物、スイーツなど)が殊更「豪華な」ものになって、日常がすごく楽しい。
物も全くこれと同じ。
ものの正体は「刺激」なんです。
だから、たくさんのものに囲まれているのは刺激的です。音楽が爆音で流れ照明がチカチカしているクラブの中で、生活している状態です。
そんなにわかりやすい刺激じゃないのですが、ものはそれぞれ固有の波動を発していて、自分をチクチクと刺激している。それが心地いい刺激であっても、嫌な刺激であってもある量を超えると飽和してしまう。
そうすると何が起きるのかというと、麻痺なんです。だから、普段の刺激に疲れてしまっていて、家にいるだけで体力を奪われて、やりたいこと、やるべきことができなくなっていく。
そしてここにもやはり「ハレ・ケ」の混在があります。ものにも刺激が強いものと弱いものがあります。たとえば「可愛くて気に入ってるけど、ちょっと頑張らないと着られない服」とか。
これらは「ハレ」の物たちです。お出かけをするとき、テンションが上がった時、特別な時に使うもの。
しかし実際は「ハレの物をケに使おう」としていたり「いざという時にハレの物がないからケのもので代用」といったことをしている。それが豊かさや贅沢だと思い込んでいたり、倹約だと思い込んでいたり。
ピカピカのハイヒールを履いて近所のスーパーに行っても場違いだったりします。逆に、ちょっとおしゃれして出かけたいのに、よそ行きの靴下がなかったら、毛玉だらけのやつを履くしかない。
そしてやはり料理や食事と同じ。「ハレ」のものは「刺激が強い」「神経を使う」「手間がかかる」もので「娯楽」です、「ケ」のものは「刺激が少なく」「何も考えずに」に使えるもの。そして、その合計が、自分の刺激の飽和量を超えないことが大切。
こうして刺激を無くしていくと、葉っぱが一枚落ちるのをみても感動するようになるだろう。あとは「圧倒的に暇」になる。人生に「無駄な時間」「追われない時間」が増えて、それはそのまま自分の豊かさに直結していく。
直感が研ぎ澄まされていく。誰もが超能力者になれる。
そして、たまに来るハレの日は心から刺激を楽しみ、日々の些細な刺激も、ちゃんと贅沢と感じられ心底楽しめるようになるのだ。
ものは「刺激」であって、過剰に摂取すると、人を刺激で鈍感にさせて気力を奪う装置として働いているようだ。でもなぜこんなにも物に執着してしまうかというと、それは「静けさ」「刺激のない状態」だとソワソワして不安で落ち着かないからだ。
スケジュール帳がスカスカだと「自分が必要とされてないように感じて不安」になる人が世の中にはいるらしい。それと同じように、ものや時間がスカスカなことで、刺激が消えると、それでごまかしてきた不安や「本当の気持ち」など、自分にとって不都合なことが表面化するのだ。
「実は今の仕事を辞めたいと思っている」とか「本当はこの夫が嫌だ」とか「私は何もないちっぽけな人間なんじゃないか」とか。「やめてやめて、それは今、聞きたくないの!マズイマスイ!」と思うようなもの。
でも実はその不都合な事実だけが、自分を、幸せな世界へ連れ去ってくれるのだ。
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