こんにちは、みくです。
私が一番最初に手放すことになったメジャーな家電はテレビだった。
もうテレビのない生活を8年くらいしている。
でも、そもそも私はバリバリのテレビっ子だったので、当時、テレビがない生活というものを目指していたわけじゃなかった。
休みの日に王様のブランチを見るのが幸せだったし。
だけど、その時住んでいた部屋があまりに狭かった。
パソコンモニタとテレビの黒い画面が2つ並んでいるのを見て「あーこれが1台になったらどれだけ清清するだろうか!」と思ったのだ。
その時は家に「外付けTVチューナー」があることと、それが実現可能だということが頭の中で結びついてなかった。(なぜ外付けチューナーがあったかというと、当時の同居人が、親から不用品として持ってきた。しかし、ずっと棚の中に押し込んであった「置物」だったから気づかなかった。)
ある日、部屋の片付けをしていて急に「ハッ!この箱にTVチューナーって書いてある!」と気づき、片付けついでにパソコンでテレビを見れるように設定してみた。
これがテレビがなくなった直接の原因である。
パソコンとして使っているが、テレビとして使いたければ、テレビに切り替えてテレビを見ることができるようになった。
そうすると「パソコンをしながらテレビを見る」ということもできないし、「わざわざテレビを見るために切り替えてまで、見たい番組が滅多にない」のである。
元々なんとなくテレビをつけてて、なんとなくチャンネルを変えて、その時やっている見たい番組を見ていたので、そもそも能動的に「この時間にテレビに切り替えよう!」というきっかけが、なかったのだ。
驚くべきことに。
私はテレビが大好きだと思っていて、子供時代から「テレビは友、テレビは孤独を癒してくれる」と感じていたのに、きっかけを失ったら、あっさり見なくなってしまって衝撃を受ける。
テレビというのは不思議で、1年くらい見ないでいると、たまに見るテレビに違和感を抱くようになる。それはCMだったり、ドラマだったり、バラエティだったりするのだが、とにかく「なんか奇妙な感じ」に感じるようになる。
うまく言えないけど、ディズニーランドのように感じる(わかりにくい)
そうするうち、会社を辞めたり、スピリチュアル本を読んだりしているうちに「このまま、テレビはない方がいいのかも?」と思うようになり、特に買い戻すこともなく、チューナーも1年くらいで捨ててしまった。
これが、先に本を読んでの思想ありきだと辛かったと思う。
例えば「テレビは洗脳装置だから悪!」とか思ってしまうと、なんか違う感じになると思う。私は今やテレビっ子をやめてyoutubeっ子になったわけだが。当時のテレビマンたちが活躍して作っているチャンネルを楽しんでみている。結局のところ人間はそんなに変われないし、変わる必要がない気がしている。
断捨離や片付けも同じで思想ありきだとなかなか厳しい気がする。
私がものを捨てる理由は、実は将来的には移住したいからだ。その時に、リュック一つでサッと旅立つ…のは無理だとしても「あれがないとダメ、これがないとダメ」と物による解決策に依存しまくっている状態だと難しい気がする。
わたしはもっと「自分だけでいい」ようにしたいし「でも最低限これは必要」とか「このこだわりは譲ったらストレス」というボーダーを可視化させたいようである。
なんであれ「意識が高い」のは私には無理なんだ。
続かないしハードルが高すぎる。そうじゃなくて、テレビを手放したみたいに、新しいことを始めたり、新しいことを習慣にしたり、それまでと変えたりすることに対して「流れるままに自然と気がついたらそうなっていた〜」という状態が理想だ。
そっちの方がストレスがないし、長く続くから。
で、この「流れるままに(ある意味で必要に迫られて)自然と」というがポイントで、実は、その流れるままにの流れ自体は、自然と起こそうとするのではなく、意図的に起こした方がいいのだ。
なぜなら自然に起こそうとすると、起きないからだ。ずーっと同じところをぐるぐる回ってしまい、流れがない中で、無理やり何か新しいことを始めようとしてしまう。
つまり変えるなら、DOではなく、BEを変えた方が良い。
ということを言いたい。
英語を習得したいと思ったときに、日本に居ながらにして教室に通ったりテキストをこなすより、英語しか話せない恋人を作ったり、英語圏に身を置いてしまう方が圧倒的に早いのと同じだ。
「流れるままに(ある意味で必要に迫られて)自然とDO」というのは、BEを変えたから起こった「後出しの出来事」にすぎない。
精神状態が悪くなれば部屋は散らかるし、精神状態が良くなれば部屋は片付く。そして精神状態が悪い時に部屋を片付けようとすれば、ストレスである。
そしてBEを自分にとってより心地よく変えてくれるのが「波動を上げまーす」であって、それは意図して行わないといけないモノなのだ。
受け身で流れるままに待っていて起こるものではなく、各自の能動的な働きかけが必要になる。
だから「なーんにも考えず、予測せず、行動せず、波動あげまーすだけしてればいーや。」というのは、最高に意識が低くて、私に合っている。(その結果、行動は流れるように自然と起きる。)
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