つまんない人間

こんにちは、みくです。

私は欲にまみれ、怒りにまみれて生きてきたけど、その欲も怒りも実はダミーで、本当は「自分がつまんない人間」だということを認めたくなかったのかもしれないなと思う。

欲は、自分は特別な人間であると思っていたい気持ちで、怒りは、そうではないことへの対抗手段だったのかもしれない。

自分を特別な人間たらしめてくれるものには飛びついて、そうではないという意見に対してはものすごく反発していたのかもしれない。

しかし実際は私はものすごくつまんない人間であった。

本当の私は、欲がなく怒りもない私は、すごくつまんない人間なのだ。私は今、ものと向き合った結果、お金と向き合うハメになっていて、そこには欲と怒りがものすごく関係している。

だからそれを冷静に、かつてないほど冷静に、観察しなければいけないハメになっている。正直に言って、ものすごいストレスフルな毎日である。

しかし、こんなに「正しいストレス」を未だかつて感じたことはあっただろうか?このストレスはまさに「自分の欲と怒りがストレスの原因である」ということをまざまざと見せつけてくる。

みんな、欲や怒りで悩んでいるし、欲や怒りのせいで苦しんでいることがわかっているから「欲がなくなりたい」「怒りがなくなりたい」と思っている。

けれど本当はそれ以上に、欲がなくなった時、怒りがなくなった時、「本当につまんない人間」になってしまう恐怖の方が強いから、欲や怒りが止められないのかなと思う。

根っこに「自分は特別だ、偉大だ」と思っていたい心理があるのだと思う。

この心理が、きっと「自我」というものだ、と、私は気づいた。

自我って言うと、なんかもっと崇高?高次的?な概念で、もっと実態を持っている感じがするモノなのかと思っていたけど、そうじゃないんだ。「私は特別だ」という、謎の、なんでそんな感覚があるのか、どこで身についたのかわかんないくらい、スッと差し込まれている不思議。

自我がない赤ちゃんから、幼児に育つ時に、自我が芽生えると「自分は偉大だ」と思いたい心理が生まれる。なんでだか。そして、その結果、欲と怒りが生まれるんだ。

しかし実際は、その欲と怒りは、本当はもっと少なくて、従って問題も少なくて済んだはずだなと思う。つまり自我自体はどうしようもないシステムとして差し込まれているが、それを肥大化されるかどうかは自我が芽生えた後の環境に依存する。

きっと世界がもっと貧しくて、発展してなくて、経済などないような縄文時代のような世界だったら、そんなに自我があったら生きていけない。

つまり、ものが豊かで、人工的に発展していて、経済がガンガン回っている社会というのは、自我を肥大化させても生きていけるような不自然な状態である。

その結果、精神病と肉体病と自然破壊が起こってしまったが、それで得する人がいたんだろうな。

そのような社会になってしまったところから、縄文時代のような大調和、ヴェド文明のような大安心で暮らす高度な精神的文明に近づくには、どうすればいいか。

実は、これは、政治の問題ではない、社会の問題ではない、個人の問題なのである。

たった一人の個人の中にある欲と怒りのシステムを沈静化させない限り無理である。

私腹を肥やす組織人がいなくなっても、税金がなくなっても、金融崩壊してお金そのものが消滅したとしても、グローバリスト勢力が全滅しても、実はヴェド文明には全く近づかない。

私の中にある欲と怒りのシステムを沈静化させない限り無理である。

そしてその欲と怒りを沈静化させるということが、とてもストレスなことなのだ。

それは貧しくなることであり、発展しないことであり、惨めで、つまんない人間になること。いくべきゴールもなく。なんの「楽しみ」もなく。

そこから逃げたくて拒否したかった、世界一なりたくなかった自分。

これってものすごく恐ろしいことだ。

「私って本当は、何があれば満たされるんだろう?」と突き詰めていくと、このような、恐ろしいことに気づき、楽になる。

例えば、ミュージシャンが「自分は音楽をしていても別に楽しくない」と気づくのは怖い。頑張ってお金を稼いでいる人が「お金では自分は満ちない」と気づいてしまったらショックかもしれない。

でも、楽になる。

そして、その状態を積み重ねていくと「あれ?私を悩ませるものから解放された身軽な状態だ!こんなに安寧な境地あるの!?」とびっくり仰天してしまう。

それは、悔しいし、辛い。自分が好きだと思っていたもの。自分が大切だと思っていたもの。自分がなりたいと思っていたもの。何を犠牲にしてでも守ってきたもの。自分のアイデンティティだと思っていたもの。

それらが本当は全く必要とされてないし、必要としてないと気づくのは、辛いことである。

必要なものは全部あって、だから、何かを手に入れたり、何かを改善したりする必要がない状態になるのは、辛いことだ。

人はそれが「いいもの」に見えない。近づいたら死んでしまいそうなほどに怖くて、一生懸命、幸せから逃げてしまう。

だから欲と怒りで二次的な悩みに苦しむことになる。

本当はつまらない人間である。

人間は人間だもの。

ハエはハエです。

ハエは特別だが、特別なハエ、というのは存在しない。

私だけの特別な才能も、私だけの特別な魅力もない。

そうすると、人間の才能が溢れ出す。「人間」のプログラムが動き出す。どんどん優秀になって、どんどんみんなから愛されて、どんどん問題を解決できる超能力の天才になっていく。

それまで個性と思っていたものは、実は自我のみせる「偽の個性」で、本当の個性はそういう境地から浮かび上がってくるんじゃないだろうか。

みんなが本当につまんない人間になることで、本当にすごい人間が世界に溢れかえるような、本当にすごい高度な文明ができる。

神は最初から楽園を追放などしておらず、常に両手を広げて待っている。逃げているのは私たちの方なのだ。

このことを発見していたイエスやお釈迦さまは、本当にすごい。


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