あなたは騙されてない!?こんな現代人の「なんでだろ〜」

brown wooden door near body of water

こんにちは、みくです。

私の人生、いくつかのターニングポイントがありました。私の人生、というより私自身が変わったタイミング。

今考えるとそこで重要なのが「騙された!」と感じることなんです。

実際は、「自分が間違ってた!」ということなんですけど、私はめちゃくちゃ他人のせいにしたいので(ってか実際、マジで他人のせいやねん。他人っても悪魔だけどな!)「騙されたー!!」とあえて言いたい。

だって、例えば詐欺も究極「こんなのに騙された自分のせい」という面もあるけれど、騙す方が悪いのは絶対にそうです。法律もちゃんとそうなっているじゃん。

だから「サインしたのは自分だ!」と言うか「知らないでサインした!騙された!」と言うかという言い方の違いということです。

人は「あなたは洗脳されている」「騙されている」と言われると嫌な気分になるのかもしれないけれど私の場合、おそらく私が馬鹿すぎることが原因で、頭を金槌で殴られたように「騙されていた!!!」とショックを受けることが多いのです。

このショックを受けることが私の人生の目的なんじゃないかと思うくらい。

初めてハッキリ「騙されてる!」を体験したのは社会人2年目の時にいたこニーチェを読んだ時で、次に騙されている!と感じたのは、心屋仁之助の本を読んだ時だった。

そして彼らが教えてくれた「アンタ、騙されてまっせ!」という内容を深いところまで教えてくれたのがアシュタールとアナスタシアだった。

マドモアゼル・愛先生の月星座の解釈「月は「騙し」であり、今は月の文明である」と聞いたときに「ナルホド!」と膝を打ったのもこれらの「騙されていた!」という体験によるものが大きかった。

私が思うのは、いつまでも変われない人、変わりたいけど変われない人っていうのは、この頭を金槌で殴られるような「騙されてたんだー!!」を体験したことがないのではないかと思う。

騙されてたんだー!と悔し泣きする体験が、乏しいように思う。悪夢から覚めるのはいいことだが、その時には、多かれ少なかれ、衝撃があるものだ。

というのも人は必ず「悩み」があって、その「悩み」は必ず「何かに騙されているから」起こるのである。私のように馬鹿でなく賢い人でも、必ず、である。

私がこう確信したのは今私は毎日「だ、騙されてたー!!」と言う衝撃を受けているからである。絶賛ストレスの最中である。毎日心の中で悔し泣きをしているのである。

今回私に「騙されたー!」を教えてくれているのは、ミニマリストの皆さん。私は全然ミニマリストではないが、彼らの言うようなことを実際にやってみると、「騙されてた」と思うことが毎日起こる。

例えば私はこれまで「節約=不便、貧乏くさい」という認識であったが、これ自体が騙されているということである。実際は、節約=自由なのだが、騙されていたので「それは良くないこと!」と信じていたわけ。

例えば、一晩だけでも夜を蝋燭1つで過ごしてみるとものすごく色んなことに気付かされる(夜は暗いので何も出来ないので早く寝たほうが良いとか、外がめちゃくちゃ明るいことにフリーライドwできるとか、電球ってめちゃくちゃ明るくて眩しいという衝撃とか、停電になった時の疑似体験をすることで電力に依存していた自分を発見するなど)

まあ電力だけじゃなくて、買い物をやめてみたり、空腹のまま過ごしてみたり「贅沢は敵!!欲しがりません、勝つまでは!!!」を遊びの感覚で全力でやってみると、自分が無数の鎖に繋がれたか弱い存在だと理解でき、強くなる部分は強くなるし、か弱い部分は援助に感謝しながら過ごすなど、大変画期的な変化が起こるわけです。

不便で貧乏くさいと思っていたようなことが、実は自分をどこまでも自由に、どこまでもお金持ちに、どこまでも自立した存在にしてくれることにショックを受けて、今までそれを「やりたくないこと」だと思っていた自分に「騙されてた!」とショックを受けてしまう。

そして、なんでそうなったのかよくわからないけど、現代人の普通の生活ってものすごく身の程知らずで思い上がったものなんだ!!という衝撃があり、自分が環境破壊や社会問題を引き起こしている張本人であり、それは自分の外側に存在する問題かのように思わされていた、つまり「騙されてた!!」という衝撃がある。

(本当に何を言ってるんだろう。世間知らずの馬鹿で恥ずかしい。実態としては質素倹約で暮らしている人の方が多いのだろう!)

ちなみにこの「良かれと教わって(下手すると全力で)やってた生き方や行為が、自分や他人を盛大に苦しめていた」=「騙されていた」という気持ちは、罪悪感とか、自責の念や、騙したものへの怒りや、後悔という暗い感情とは全然、違う。

もっと竹を割ったような、スッパーン!という袈裟斬りにされるような、衝撃である。

そうして袈裟斬りにされて死んだ私の体から、ニュッと新しい自分が生えてくる。

自分が変わるってそういうことである。

私は今まで知らず知らずのうちに自分や他人を苦しめる思想に染まり、それを当たり前のものとして疑うこともなく実行してきた。

まさかそれらが自他を苦しめているとは知らず、悩みや苦しみに対して「なんでだろ〜なんでだろ〜」とテツアンドトモを踊ってきたのである。

しかし「なんでだろ〜」の舞の実態は、シンプルである。
因果応報である。私は騙されていたのだ。そして、これからもきっと無数の「騙されていた!」の衝撃に震えるのだろう。

「こんなに働いてるのに、金がないのはなんでだろ〜」「毎日忙しいのなんでだろ〜」「慢性的に体調が悪いのなんでだろ〜」「こんなに優しくしてるのに報われないのなんでだろ〜」「頑張ってるのに苦しいのなんでだろ〜」「全然痩せないのなんでだろ〜」「将来が不安なのなんでだろ〜」「あの人が羨ましいのなんでだろ〜」などなど、人それぞれが繰り広げてるなんでだろうの舞には、実は理由があって。

理由がわからないのは、騙されているからであり、「騙されてたー!」と袈裟斬りにされてようやく、テツアンドトモは卒業できるのだ。ああ、辛い。

しかし私はこれがやりたかった!


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