こんにちは、みくです。
興奮しています。
断捨離をしていて行き着いたのは「受動的な生き方をやめる」ということだったんです。(今日は断捨離の話じゃなくて、トラウマさんと副腎疲労の話なんだけど、そのきっかけは断捨離だったのでその話からする。)
一言で言えば、何を買うか、何を買わないか、何を残して、何を捨てるか。ということをしているわけですが、これはそのまま、何を食べるか、何を食べないか、何をやるか、何をやらないか、誰と付き合うか、と言ったこと(衣・食・住・金・仕事・人間関係)につながっていくのです。
そして私は気づいてしまったのです。「普通の人みたいに生きていたら一生やばいかもしれん」ということに。
つまり、何を買うか=何を食べるか=何をやるかと、何を買わないか=何を食べないか=何をやらないか、ということを考えたときに「みんなそうしてること」「一般的なやり方」「普通に売ってるもの」「その時安いもの」「親と同じようなもの・こと」「お金になりそうなこと」「習慣的にやっていること」「かっこいいもの」などなど「他人」や「外部」のものを基準としたこと、全てが、他の人にとっては問題にならなくても、自分にとっては超問題になるということがあるな、と気づいたんです。
「なんだこれは」「この違いこそ生きずらの根本じゃないのか」と感じたんです。
断捨離をしていてもこの2通りの(受動的な生き方をやめる断捨離と、やめてない断捨離)人がいると思っており、それらはミニマリストの部屋と、その人本人を見ると明らかに違いがあったりして、すごく謎だったんですが。
それは明らかに、その人の部屋と、モノと、その人の外見と、言動から、全然違うわけ。なんていうか、前者の人からは、「末期癌から生還した人」のような雰囲気がする。
私が目指したい効果は前者で、「単純に物が減ればいい」という後者のことにはあまり興味がない。
以前はその違いがわからず、ひたすらにその違いはなんだろうと思ってたけど。
それで、色々と、私にこれって必要なのか、とか考えるときに、私の場合はとにかく「健康になりたいから買うもの」とか「体調が悪いのをなんとかしたくて買うもの」みたいなものが圧倒的に多くて、その一つ一つ(毎日、何を食べるか、何のサプリを、どの投薬を、どの健康法を、どの化粧品を、など)を考えていたらある事実にぶち当たってしまった。
それは副腎疲労という概念です。まあ、健康オタク的な人には何を今更という感じの概念なのですが…。
これまであまりそれらがトラウマさんたちと直接的に結びついてなかった。
(トラウマさん…被虐待、いじめ、機能不全家族などの「逆境的生育歴」を持つことで、大人になっても生きづらさを持つ人々をざっくりまとめている言葉)
私は今回「卵巣嚢腫再発を防ぐために飲んでいる低用量ピルは本当に必要なのか」ということを真剣に検討していて、しかし普段の生活は割と調子が良いから余計に生理前に何もかもが具合悪くなってしまうことがキッパリとはっきりして「ピルを飲んでいるのにどうしてPMSが全然良くならないのか」と思ってググったら「副腎疲労」っていうのが根本原因だって書いてあって、副腎疲労について調べていたら、天啓に打たれてしまった。
あのトラウマさんたちが皆持っている謎の「抑うつ」「精神的弱さ」「アレルギー症状」「不定愁訴」「自律神経失調」「気分障害」「PMS/PMDD」「発達障害」「睡眠障害」「やる気が出ない」「やりたいことがない」周辺の、あの、フワーっとした、独特に漂っている「なんかおかしいよな、全体的に、ハンデあるよな」というあの特有の。
人によって症状は違うのに、なんか全体的に、フワーっと、共通しているあの、死んだように生きているような感じ、医療でどうにもできなそうなあれ、そのまま行くと社会の中で永遠に負け組な感じ、時々、深刻な問題や精神疾患になるでしょう、っていう「ぎりぎり」な感じ。
それが、副腎疲労という一本の「ストレスが原因でやられちゃった臓器」というもので貫けるような気がして、雷に打たれている。
(天啓)詳細は一連のツイートで書いたから読んでくれ
私が言いたいのは「小麦をやめろ」etcということではない。
いや、やめた方がいいのはもちろんそうなんだけど。
そうじゃなくて、「普通の人と同じように生活してたら(生活しようとすればするほど)ずっと地べたを這いずり回ってる感からは脱出できない」という超残酷だけど、超朗報なことなんです。
つまり朗報っていうのは逆にいうと「普通の人のように生活するのをやめたら一発逆転二足歩行の可能性あり!」ということです。
生活、というのは衣食住・金・仕事・人間関係です。
普通の人のように生活していると永遠に普通の人にはなれず、普通の人のように生活するのをやめると、みんなと同じように普通に生きられる。
という一休さんのトンチのような、真理。
そして普通の人のように生活するのをやめる、ということは、「受動的な生き方を変える」ということであり、それは「受動的な生き方を変えるぞ」という覚悟が必要です。
もちろんね、現代人は多かれ少なかれ副腎疲労してるし、最後はみんな癌や心不全や認知症や脳梗塞になったりなどし、死んでいくよ。
けれど問題は「一般的には若くて元気で生きられている年齢域」ですらその予備軍のハンデを負ってしまうってこと。副腎は普通の人であればスタートは元気だが、トラウマさんの体は幼少期からストレスで副腎疲労するから、スタートが50代の副腎だったとして、その状態で給食のパンとか、菓子パンとか、牛乳飲まされたり、加工食品食べたり、普通の人と同じような感じで生活していたら、「あれ、みんなと同じように頑張れない」「朝だるくて学校に行くのしんどい」「他人が怖い」「感覚過敏」「胃腸が弱い」などなどの状態になってしまう。
つまり原因は「普通の人と同じようなものを買い、食べ、やる」という習慣。みんなが普通にやる感じで生活すると、どんどん疲れていく。みんなと同じように活動すると、どんどん病んでいく。
「何もしれないのに生きていくのがしんどい!」という状態に簡単に陥ってしまう。
そこから抜け出すには、今まで貯めに貯めた毒を排出して、そしてもうこれ以上毒を入れないことが正解なのかもしれない。この毒、には、ありとあらゆる社会毒が含まれる。それはほとんどの普通の人には問題ないレベルに抑制されているが、最初から毒に弱い人はすぐ食らってしまうのだ。
きっとトラウマさんを施設に集めて、一切の生活費の不安がない状態で、徹底的に解毒・毒を入れない衣食住と生活習慣を提供し、副腎を人並みに元気にしてから社会に帰せば一人前の生産能力を取り戻すに違いない。
しかしそんな時代が来るのは100年後な予感がするので、私たちは主体的に、個人的に、自分に必要な解毒と、自分が許容できる毒の量を見極めて、生活を変えるしかないのです。
そしてそれは「普通の人の一般的な生活」からはだいぶかけ離れたところにある。
残念ながら現時点では、副腎疲労は検査すら保険適用外ですが、まあここは自分が医療に見放された末期癌(実態としてはその通りなのだから。)になったとでも思って、各自が自分の直感に従い、食べたいものを好きなように食べるような生活をやめて、衣・食・住・金・仕事・人間関係の全てを見直していく以外にありません。
ちなみに、単純に食生活を変えた(小麦・砂糖・乳製品・添加物をやめて玄米菜食にするなど)としても副腎疲労は治らなかったりする。(ただし最も先に試すべきことだろう!)
副腎を疲労させている原因は人それぞれ違うくて、例えば仕事をやめないといけない人、お金の不安を無くさないといけない人、住む場所を変えないといけない人もいる。
つまり、生き方(衣・食・住・金・仕事・人間関係)全てを、もうこれ以上副腎を疲労させない方向にかえる努力が必要になる。生き方を変えるには、ミニマリズムはその具体的な方法として、結構有力だと思う。末期癌から生還したような、彼らから醸し出される雰囲気が、何よりそれを物語っているように思う。
そして上記の全ての事柄は「生きづらさをあまり感じていない人々」には全く不必要な内容であり、逆に言えば、生きづらい人々が「大多数にとって有益な情報」ばかりに触れてしまうと有益どころか、逆効果になることが多々あるのですね。それは「大多数には問題にならないようなことが問題になっている」可能性があるからです。
なるほど〜。
はー、興奮した。
(全て仮説です)
副腎疲労の治し方、参考にした記事はこちら
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