コントロールを手放すな

two man hiking on snow mountain

こんにちは、みくです。

人生においてコントロールできることはものすごく少ない。
災害や生老病死、時代の流れなどは自分の力ではコントロールできないし、他人も自分もコントロールなどできない。
それらのものをコントロールしようとすると、ものすごく悩み苦しみに陥る羽目になる。

だからよく「コントロールを手放しましょう」と言われる。

でももう一つ悩み苦しみの原因となるものがある。
それは、自分でコントロールした方がいいものをしないことだ。

アンコントロールなのは生きているだけで十分思い知らされるかもしれないが、意外と盲点になるのは「自身がコントロールをするべきなのに、できてない」場面なのかもしれない。

コントロールを手放した民衆はとても操作しやすい。
だから、自分でコントロールした方がいいものをコントロールできるようになることが「自立」なんだ、と最近よく思います。

コントロールできるものをちゃんとコントロールするようになって初めて、コントロールできない物に対しても、「しょうがないな」と執着を手放せるようになるんだ。

「コントロールできるものはする」っていうのは「自由を行使している」ってこと。

私がおすすめする、もっとも手軽でもっとも効果が高いのは波動のコントロールである。

しかし中にはもっと「目に見える触れる」「確かなもの」の方がいいと思うひとがいるのかもしれない。
その場合のお勧めが「物のコントロール」です!

(でも私は波動をコントロールしないと、この家に引っ越すこともなく、物の管理・コントロールを実践しようという気分にもならなかったのだろうから、順番はひとそれぞれなのかもしれない。)

物の管理とは、手段としては「持ち物を減らす・増やさない」ことだが、これには目的がある。
多くの人は、断捨離の目的を、持ち物を減らして身軽にストレスなく生活することだと思っている。あとお金が貯まるとか。
確かにそれも副産物としては嬉しいことである。
ただそれは目的じゃなくて。
目的は、自分の人生をコントロールできるようになること。コントロールを『誰か』から「自分の手に取り戻す」ことです。

つまり、ものを減らす目的は、管理可能な状態にする、というまでのこと。だから、多くのものを管理できる達人のような人もいれば(図書館の司書のように「あの本はA-21にあるな」とわかる。)、全然管理できない!メモリが小さい!という人もおり、減らす量は、人それぞれです。決して少なければいいということはありません。(まあ少ない方が管理しやすいのは間違いないが、それを煩わしいと感じる具合は好みなんで)

目的は、快適に暮らすことでもおしゃれに暮らすことでもありません。
「管理できる状態に近づける」ことです。
だからゴールは「管理できる状態にして、維持=コントロール」です。
なので、ゴールまでは2、3年くらいは最低必要な気がしている。

そう考えると波動コントロールの方が早く結果が出ますのでせっかちさんにはお勧めですね。

「人生何が起こるか」は管理できません。
つまり、リスクというのは管理できない。
けれど「自分の生き方を管理すること」はできる、だから、やろう。
この当たり前のことを、私たちは、親から、学校から、社会から、教わらずに大人になります。そして、そのまま親になり、教師になり、老人になります。

誰も、どこでも、ちゃんと教わってないのです。

それを教えてくれている一人がアシュタールです。
「波動は自分でコントロールできますよ^^」と教えてくれています。
そしてミニマリズムは「生き方は自分でコントロールできますよ^^」と教えてくれている感じがします(本とか読んだことないけどきっとそうだと思う!)

特に、現実的な問題、つまり「お金」や「衣食住」といったものについて非常に具体的にコントロールのやり方を教えてくれるなぁと感じます。

ありがたいことに、「何を持つか」「何を重要とするか」「何を買うか」「何を食べるか」「どこで生きるか」「どう暮らすか」「何をするか」といったことは、「精神的自由権・経済的自由権・身体的自由権」として、日本では「自由ダヨ」とされています。
しかしそれらを、本当に自分自身でコントロールしている人というのは意外に少ないのかもしれません。
実はそれらが「こうするべきですよ」「こんなふうにやったらどうですか」と親切なのか?悪意なのか?は不明ですが、ある程度指図されているような気がします。
そしてその指図に従うのがいい人間、いい市民であるように思わされ、いつしかその指図が無言の強制になっているような気すらします。(被害妄想なのかもしれません^^)

けれどあくまで従うか従わないかは任意なのです。
物の整理も同じで「捨てるか捨てないかは任意です!」「買うか買わないかは任意です!」と今まで考えてもみなかった選択の連続です。

だからよくサービスで丸1日出張で片付けコンサルします!みたいなものがあると思うんですけど、多分それじゃ意味ないんです。

だって「これ要りますか?」と聞かれて、その日中に「要ります!」と答えられるようなものじゃないから。
「この傘いりますか?」と聞かれたら、誰だってすぐに「一本しかないし要るでしょ」と思う。でもある日、車に念の為に置いておいている折り畳み傘の存在を見つける。「あ、ここにも傘あるな…しかも1回も使ってない」と。そして「あ、そういえば日傘もあった。あれって雨晴れ兼用だったな…」とか考え始める。「でもなぁ、日傘気に入ってるし。雨の日には小さいな。でも雨の日に長時間外にいることなんてあるのかなぁ。」とか考え始める。
「でも雨傘の方も気に入ってるからな。うん、我が家の傘は、日傘と雨傘2本にしよう!車の折り畳み傘と、合計3本!」と、次の見直しまでの結論を出す。
傘一本にしたってその調子な訳ですから、短期的にできるものじゃないんですよね。

そうやって「絶対必要でしょ!」をもう一度点検してみる。「石鹸って必要だったっけ」「ノートって必要だったっけ」「シャンプーって必要だったっけ」「鍋って必要だったっけ」「アイロンって必要だったっけ」といった感じで、見直してく。
そうすると「これって普通の人の家にはあるけど、私には全然必要じゃないな」とかいうものが、絶対に出現する。
逆に「普通はこれ捨てるんだろうけど、私には捨てるなんてあり得ない」というものも絶対に出現する。

一つ一つのものの管理できるようになると、自分の「普通こうでしょ!」の洗脳がどんどん解けていく。普通このくらい生活費かかるでしょ、とか普通このくらいは買うでしょ、とか普通こういうふうにするでしょ、とか。
1日1アイテム捨てる日もあれば、何も捨てない日もあれば、バザーが開けそうなくらい捨てる日もある。それを、何ヶ月も繰り返して、芋づる式に、食事の見直しと、家計の見直しと、生きる意味の見直しが進んでいく。

「部屋の片付け」と「家計の見直し」と「食事・健康の見直し」と「生きる意味の見直し」は、それぞれを別々にやろうとしても全くうまくいかない。病院みたいに、それぞれに専門家がいるけど、その治療はあんまり効果的ではない。

なぜならこれらは全部繋がっているから。

でも「副腎疲労」のように、たまに現れるそのつながりを全部貫いてくれる、不思議な存在があり、「物」というのも、その一つなのかもしれない。

見直すってつまりコントロールを自分の手に取り戻すってこと。「お金が貯まる」とか「痩せる」とか「人生がうまくいく」とかそういうのは、管理できるようになった先にある、あくまで副産物なのだ。


よかったら❤️を押していただけると励みになります。

正式版 損切りのやり方はこちらからPDFを無料ダウンロード
2回のレクチャー会をベースに改良を加えた最新版になります。Kindle版は現在準備中。【追加技法】損切りエクササイズ:損切りの基礎力向上のためのエクササイズです。