トラウマさんがウォーキングデッドなのは腸が死にかけているから

こんにちは、みくです。

食の見直しを始めてから、日を追うごとに真相がわかってきて深い闇が目の前に立ち込めてきて進めば進むほどその闇が濃くなっていくので、私のまなこも真っ暗になりそうになる日々ですこんにちは。

闇><。

それで、ここに至るまでの回復はとても重要で、ここまで回復した目的は、この闇と向き合うことだったのだな〜と思いつつも、それまでの回復を心理的に吹き飛ばすほどのショックを受けています。

腸と向き合うっていうのはトラウマと向き合うことでした。

食の見直し〜♪といった気軽な気持ちで始めてしまったことになんだか「あ、また無自覚にすごいところ踏んだな」っていう体感です。

地雷を踏み抜くことだけに自信。

腸というのはトラウマさんという人間そのものなんじゃないかと思ってしまう。

エーテルコード(他者との境界線のなさ)はリーキーガットだし。

死んでるのに生きてる振りするところとか。(だって食べて、うんち出るし。)

繁殖したカビや悪玉菌の要求を、自分の好きなもの嫌いなものだと勘違いして、叶えてあげるところとか。

そして一番最初に傷ついた内蔵。

それは副腎だったのかもしれないし、腸だったのかもしれないが、とにかく最も辛い子供時代の「処理し切れないストレス」の、大きすぎる代償。

そのままの内蔵で、普通の人と同じ給食を食べて地獄ルートを走っていくところ。

健康な人にとっては有用な玄米菜食や発酵食品を食べてしまう。死にかけた腸に追い打ちをかけることになり逆効果になることが多いのに。

なくならないカビ。このカビこそが度重なる屈辱の象徴である。だから、気づいた人もカンジダを排除しようと執念を燃やす。恥、屈辱、そして汚物の象徴のように感じて、直面するのも辛いわけだ。

あと、におい。どんな香水でも消臭剤でも誤魔化せない。それが人によっては対人恐怖や自臭症という、深刻なコミュニケーション上の障害になる。

人はそれを感知する。臭いを。だから、最下層を生きることになる。動物的な本能。

強靭な腸を持って生まれたものと、先天的にまたは後天的に傷ついた腸を持って生きるものとの、圧倒的な格差。努力で覆せないハンデ。

強い腸を持つものはますます社会の中で強くなり、その逆も然りである。

理性の届かないところにある、その人の、人格そのもの。

それが腸。

つまりトラウマさんにとって腸活は、トラウマ治療である。

本来トラウマが治ったら別人になってしまう。それは死んで生まれ変わることとほぼ同じだ。

だから我々にとって食の見直しは、意識が高い人のやることでもなければ、ダイエットや美容のためにやることでもない。

その目的は「奇跡」のためである。

それは腸活といった生やさしいものではないが、確実に結果を出す。

(多分。見込み。いや、確信。)

しかしそれに気づかなければ、最終的には、癌などの自己免疫疾患や糖尿病、心臓病などになる。でも治し方は一緒。癌や糖尿病や心臓病を治すのと、一緒なんだ。

それは「何を口に入れるかは私が選ぶ」ということ。

それはとても辛いプロセスかもしれないが、同時に、奇跡や、人間の神秘、というものにつながっていく。腸は、土や微生物と同じで、わたしたちがやり方を間違えてきた結果を反映しているにすぎない。

それに気づかず「腸」だけを見て、抗生剤的なやり方で治したところで、どうせ「再発する」のだ。(土を消毒するのと同じ。)

抗生剤的なやり方以外で治す方法は、人それぞれ違うと思うけれど、私は、「脱社会」という方法が、適切であると感じる。

健康な社会の皆々様が、楽しんで、共有して、贅沢して、満足しているものと、距離を置くことである。

それは惨めなことでも、辛いことでも、悲しいことでもなく、そうできないことが、これまので人生が惨めで、辛くて、悲しい原因なのである。

脱社会した先に、蘇る魂があり、優しい世界があり、新しい時代がある。

という、仮説に基づいてやっております。


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