菌とトラウマ

こんにちは、みくです。

トラウマを負った人の腸内細菌バランスというものがある。

人体には、人それぞれ腸内細菌のバランスという個性があるのだが、心の傷は、その人の涙ぐましいまでの、努力や、改善や、考え方の変化にもかかわらず、そんなのは無視して、その人の「個性」を作り出している。

覆し難い個性として、腸内細菌のバランスがある。

そして腸内細菌のバランスは、無意識下でお互いに感知しあっている。
恋人や友達だけではない。
街ゆく人、すれ違うだけの人であっても。

性犯罪者は性的トラウマを負ったものをターゲットにする。

その共通点はどこだろう?と考えると、腸内細菌のバランスではないかと思う。

ニオイが違うんだよね。

性的トラウマを負った人の腸内細菌のバランス。

ネグレクトの傷を負った人の腸内細菌のバランス。

暴力の傷を負った人の腸内細菌のバランス。

再体験、ということの不思議についていつも考えていた。

心理学的には「その出来事を克服するため」だと言われている。

わかるようなわからないような。

例えば幼少期に事故のトラウマがある人が、学校でいじめのターゲットになる。ネグレクトの傷を負った人が、上司にセクハラされる。

トラウマを克服するために?

それって全然、種類、違くない?

もしかしたら原因は「こいつにおうぞ」ってことなんじゃないか?(実際の嗅覚で感知されるというよりは、もう全身の五感で感知できる、醸し出される腸内細菌。主にリーキーガットと副腎疲労を引き起こしている人特有のニオイ。)

その人が心に負った傷によって、またその傷の種類によって腸内細菌のバランスは変わる。

心に傷を負った人と、傷を負ってない人で、そもそも全然腸内細菌が違う。

穴だらけで、カビだらけで、毒物や消化が難しいものの代謝が全く追いつかない疲れ切った身体。

「なんか知らんけどいじめのターゲットになる」とか「なんか知らんけど通りすがりの人から嫌な目に遭う」とか「職場でいつもパワハラにあう」とか。

これって、外見は関係ない。痩せていても太っていても、おしゃれでもクソダサでも、化粧しててもすっぴんでも関係ない。頭がよくてもバカでも、運動ができてもどんくさくても、才能があっても才能がなくても、関係ないのだ。

ニオイが違うんだから。

私今、色々やってて、自分の体臭を毎日感知している。変化も。甘い腐敗臭、酸っぱい腐敗臭。いい匂いには、まだ当分、ならないだろう。解毒がひどくてひどく臭う日もあるが、たまに落ち着いて、ふっとニオイが消える日もある。

そういう日に、なんだか自分に自信が持てる感じがする。

それで、スーパーに行くとレジの人が突然「あら、これ綺麗ね!」と自分の何かを褒めてくる。でも、ドギマギしていると、相手も「なんでこんな相手にこんなこと言っちゃったのかしら」という顔をする。

もしかして健康な人って、こういう自信が常にあって、そういうこと、言われ慣れてるのかもなぁ。

そうなると「きょどる」っていうのも、腸のせいな気がしてくる。

腸はその人の発育や、挙動や、考え方や、誰に惹かれるか、どう生きるかを決めてしまう。

心の傷を負っている人が、心の傷を負っていない人と同じものを食べていたら、残念ながら腸内細菌のバランスは回復しないままだ。

そしてその「臭い」を人は無意識下で感知し、自動的にいじめのターゲットになったり、被害のターゲットになったりする。

「自動的に」。

また、惹かれる相手も同じような臭いの相手になる。

健康な人のにおいは、どことなく眩しく、後ろめたく、劣等感がある。
健康な人が、そうじゃない人の腸のにおいを不快だと思うように。(病院の腐敗臭)

なぜ、惹かれ合うのか、という理由に「なんとなく、同じにおいがするから」という言葉がある。それはそのままの意味なのでは?

なんとなく同じ匂いがする相手に惹かれてしまうと、再体験が起こりやすくなるよね。

そして、結婚して子供ができたら、子も腸内細菌のバランスが崩れやすい遺伝的な要素を持つのかもしれない。

これが先天的なトラウマのようなもの。

腸内細菌のバランスを変えるには唯一、食べるものを変えるしかない。薬とか手術とかで全部変えてしまうのは、それはそれで魂のアイデンティティ的には事故のような気がする。(=再発、やり直し。)

しかし腸内環境を改善するための食べ物ですら、健康な人と、そうではない人では真逆だったりする。

その辺り、研究が進んでて本当にすごい。

そしてその食事療法は、大変厳しいと思う。

それぞれが自分の腸と向き合って、その反応を都度食べ物ごとに確かめ、また、細菌や真菌が変わる時の好転反応とも二人三脚でやっていくしかない。

食べれるものがなくて「仙人になるしかない」という声をよく見かけるが、その通りだ。

いや、実際にはたくさん食べれるものがあるが「まるでないように感じてしまう絶望感」ということに問題がある。

それは、まだ治療の土台が整っていないように感じる。

被差別民として生きることを、発作的に表面上避けているだけで、本質的に脱出しようとは思えない状態ってこと。

そこから、人は何年もかけて、それぞれの回復ルートを辿りながら、治療の土台を整えていく。

それがあれば、腸内細菌を変える準備はできたってこと。

食べ物は、あらゆる「固定観念」や「固有の文化と習慣」と絡み合っている。だから、例えば「そんなこと言ったら食っていけない」とか思っているのは固定観念に過ぎない。その手の洗脳が無数にあるのを、まず、一つずつ解いていかないといけない。

私がしている治療も、その一つの手段である。(炎症の沈静化、および、執着を切る)

本当の問題は、いつでも「自己価値観」だ。拭い去れない「私は劣ってる」「私は汚い」「私は軽んじられる」と言った感覚。

それが腸の状態をそのまま表している感覚。仮にどんなにモテても、お金持ちになっても、関係なくそこにある真実の姿。

治療の土台が出来上がると、その真実の姿が回復する方法が、自然とわかってくる。


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