糖質依存症と奴隷

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こんにちは、みくです。

さて、昨日の記事では、リーキーガットを治すことが大事だなぁという話をしたのですが。

ここでやっぱり最初から最後まで、長く時間がかかりそうなのは「カンジダ」の問題だなぁと感じています。そしてそこには「糖質」と「血糖値」のことが絡み合っています。

ここは非常に闇深いところでして、「糖質制限」などとオシャンティなブームとして語られますが、これは脱社会どころか、脱文明のレベルまで落とし込んで、危険を覚悟で試行錯誤しないといけないポイントでもあります。

なぜ文明の話をするかというと、食べ物で血糖値を上げるばかりになったのは、人類に農耕がもたらされて以降だからです。
私たちの祖先は縄文人など、旧石器時代の人類なことは間違いなく、そうなると本当は「農耕なんてなかった世界」で生きていた肉体がDNA標準装備ということになります。

その証拠に、血糖値を下げるホルモンは1つ(インスリン)しかありません。しかし血糖値上げるホルモンは、6種類以上あるのです。

つまり、私たちは本来「飢餓に強い縄文人」の生き残りというわけです。

縄文カレンダーという、縄文人が四季折々で食べていた物をみると、バランスもクソもなく、秋は木の実をひたすら食べる、春は山菜をひたすら食べる、という具合に「何も考えず、その時目の前にあった繁栄している食えそうなやつを、食っていた」ことがわかります。
よく伝統的な食文化、和食文化、などと言われますが、実は食べることや料理が「文化」になったのは稲作以降なんですね。
じゃあ「山菜だけで、どうやって動き回れるレベルの血糖値を確保したというの!?」というわけですが、それが多種多様な血糖値を上げるホルモンが遺伝子に残っている理由というわけです。

食べ物以外でも血糖値を上げることができたので、多少食べるものがなくて飢餓状態になったとしても、つまり、食べ物で血糖値が上げられなくても彼らは問題なかったのです。

「飢餓の恐怖」というものがない世界。

しかしこれが稲作・農耕が入ってきたことで、急にブドウ糖代謝中毒になってしまった。
飢餓怖い!となってしまったし、食べ物で血糖値を上げることばかりしていると、本当に食べるものがなくなった時に、上手に血糖値を上げられなくて餓死してしまうことになるのです。

だから糖質制限は危険なんです。ずーっと肥料を与えていた野菜に「じゃ、今日からは土の中のわずかな栄養だけで頑張って!」といきなり肥料を中止したら、その野菜は枯れてしまうからです。

ただ、危険だからやめよう!糖質は人間に必要なエネルギーだから!という考え方も、私は疑ってしまっているのです。

私は、農耕が人間を奴隷にしたと思っているからです。もっとマイルドにいうと、ブドウ糖代謝のせいで私たちは労働をするハメになった、ということです。

そしてそこには、依存症の問題が関わっているような気がしているんです。

薬物依存者は、薬物を手に入れるためにお金を求め、そのためならどんな手段でも厭わないし、薬物が手に入らないくらいなら死んだ方がマシ、という感覚に支配されるそうです。
これと同じようなことが、糖質依存症でも起きているのではないか。
もちろん薬物と糖質では違法性が全然違いますが、後者は違法ではなくかつ長期の歴史・文明の根幹を支えているだけに、さらに闇深いものになっている気がするのです。

さて、ここ最近、私は甘いものは全く食べませんでした。
そして、調味料に砂糖を使うこともみりんを使うこともやめていました。
ご飯は、80gくらいの量を1日2回。
それ以外の糖質は生鮮食品に含まれているGI値が低めのものだけ。
普通に考えれば「かなり糖質を少なく生活しているね」という状態だと思います。
ちなみに、この時点では、何も苦しくないです。

しかし、しかしですよ。
ふと、魔が刺して(?)「これならご飯も一旦抜いてみれるのではないか」ということを思いついて、少しご飯を中止して見たのです。(もちろん、カロリーや、タンパク質、脂質などをバランス良くとっている上で。)

すると何が起こったかというと、激しい離脱症状です。
すごい辛かったからググりまくり、この記事を読んで「私だ」と悲しくなりました。

どうしたらいいのかわからず、“食べたらだめだよ、食べたばかりだよ”“今食べたら止まらなくなる! それだけはしたくない!”と必死に衝動を抑えるのに精一杯。キッチンから逃げるように離れて、歯磨きをしたり、水をガブガブ飲んだり、トイレで座りながら深呼吸したりと、何かしていないとソワソワソワソワと体が動き、じっとしていられず、明らかに異常でした。
このデブ脳が一日に何回も出るので、出たときの行動をノートに書きなぐりましたが、それを読んだら涙が止まりませんでした。自分の父と同じだと気づいたのです。
私の父は、20年ほど前、医者に「アルコール依存症」と言われたことがあります。アルコールをやめた時期もあり、その頃に母が父の行動や禁断症状を記録していて、それを見せてもらったことがあったのですが、今の私はまさにあの頃の父と同じ。認めたくなかったけれど、私は「糖質中毒」「糖質依存症」で、その時期の行動は禁断症状だったと思います。
https://mi-mollet.com/articles/-/18530?layout=bより引用)

全く同じ症状でした。ソワソワして何も手につかず、ずっと食べ物のことを考えてしまう。心理的にはかなり耐え難いレベルの禁断症状でした。お米を食べれば、この症状から逃れられるのに。何度も炊飯器に心が惹かれました。

あとは、糖質がない食事が「食事」に見えないのも辛かった。味は感じる。美味しい。お腹はいっぱいになる。苦しいくらいにだってなる。でも「私まだ何も食べてない」という感覚がある。「これは食べ物じゃない!」と本当にプラスチックを見るような気持ち。

心理的にも辛いのと、肉体的にもひどい低血糖がありました。体が動かせませんでした。ちゃんと食べてるから大丈夫なはずなのに。
おそらく私のインスリンはバカになっていて、すごく暴走しているんだと思います。

低血糖で辛い体に、さらに東洋医学でいう「陰虚」の状態が加わっていました。水不足です。水を飲んでも飲んでも、乾いている感じ。
炭水化物や砂糖などの食べ物によって体を冷やしていた(水分を保持していた)から反動でひどく乾燥してしまうということなのではないかと思います。対策として体を冷やしてくれるものを食べていたら改善していきました。(私はバナナと蓮根を選びました)

この体験を経て「糖を完全に経てばカンジダ一気に減らせるかも」というバカな発想は完全に問題を甘く見過ぎていたと悟り、今は少量ご飯を再開しています。
それで、ピタッと禁断症状が治りました。

まあ焦らず、もう少ししたら、また糖質断ちをやって、様子をみてみたいです。
一度この体験をしていれば次はもう少し落ち着いて取り組めそうだなぁって。

そうして私の中にある、縄文人のご先祖様のDNAスイッチを押したいです。
そうすることで本当の意味で、カンジダ様も、納得されるでしょう。
カンジダ様は、人間を、糖質の奴隷、小麦の奴隷、米の奴隷から解放するために降臨しているのでしょうか…。

でも、こんな紆余曲折、命の危険を感じながらも、体は徐々に変わっている感覚がするんです。確かな手応えがあります。

腸活の中で、軽い運動(散歩など)を日常的に始めたことも効果を感じています。3日坊主にならないように続けたい。でも、私はこれまでの人生何度も運動しなきゃと思って挑戦してきて、ヨガや筋トレ、ストレッチなど緩いものも激しいものも、長期的に続けたものもあるのですが、「全く」といっていいほど効果を感じたことがなかったのです。その頃の運動に対する「極度の虚しさ」がないだけで、なんだか嬉しくて、全然続けられそうです。


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