できないことを見つけた数だけ、できることがわかる

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こんにちは、みくです。

先日、成功するためには「得意なことだけ、努力できれば良い」と伝えました。

それで、太陽星座×ハウスを使えば自分でも得意なことがわかり、知り得なかったエネルギーが腹の底から湧いてくるという話をしたわけです。

でも、世の中の多くの人を見ていると「それだけじゃ伝わらないな」と感じる部分があります。

その伝え方だと「私に得意なことはなんだろう!?」という発想になってしまうな、と。

何か「得意なこと」という正解がどこかにあって、それを知ればゴール!みたいな感覚は全くの嘘です。

私は、これは学校教育の弊害だと思っています。

得意なことは何か?というと、それは「自分しか知らない」です。

なので「探す努力をしなければならない」のです。

そしてその努力の方法は「向かないこと・できないことを自覚する」です。

矛盾しているようですが「これもダメだった」「ここに関しては幼稚園児よりひどい」「これをやるといつも人に迷惑をかける」「ここにも才能がなかった」「自分ならできるというプライドしかなくて実態がなかった」「こんなふうな人にはなれなかった」「良いと思ってやってみたけど苦しかった」という材料が最も大切なんです。

そうして、捨てて諦めていって「いや、待てよ。騙されてたんじゃないか?もしかしたら、私のいくべき方向はこっちではなく、あっちではないのか?」と気づいた瞬間に「おおあた〜り〜!」とばかりに、大チャンスや大金が舞い込んでくるというわけです。

そういう物理的な証拠が来るので、すぐ気づくはずです。

そしてそれは間違いなく、太陽星座×ハウスの内容なはずなんです。

先日、為末大さんと本田圭佑さんの対談番組を見ていて、二人とも「いろんなスポーツをやってみて、自分に向いているものを選んだ」と言っていて面白かったのです。

陸上競技の為末大さんは、ボールを扱う競技は全くダメで(バットにボールが当たらない)また、チームプレイも全くダメだったそうです。

一流のアスリートですから、普通に考えたら「運動神経がすごくいいのでは!?」と思うような人ですが、そのような人ですら向き不向きがあるわけです。

彼らは「自分のポジション、戦場を見極めて、こまめにピボットしていった」ということを言っています。本田選手であれば、「本当はフォワードで世界に行きたかったけど無理なことを悟って、自分には複雑な戦略が向いていると思い、一つポジションを下げた。」と。為末選手は「100mじゃ先が見えてるから、ハードルをやってみたら意外とできた」と言っていました。

そんなふうに一つの競技の中でも、導かれるポジションが違うわけです。そしてそれはたいてい、自分がやってきたこと、自分がこうだろうと想定していたものとは「ズレたところにある」のです。

いわんや我々一般人の「向かないことの見極め」がいかに大切か。

でも人は「できないことを、なぜか直視したがらない」という傾向がある気がしていて、これは日本の教育の弊害ではないかと感じます。

例えば発達障害で悩んでいる人が「この発達障害を、何か才能に変えて、活かせるジャンルはないのか?」と質問している場面を見ました。

でも私から見ると「それ以前に、その発達障害で、自分には何ができないのか、どこに才能がないのかを自覚するのが先ではないか」と感じたんです。

「自分の才能は何か?」を考えるのは、前向きなようで、靴紐を結ばないままスキップしている状態なのです。まずは「靴紐を結んでいないことに気づく」ことが大事だし「それをむすぶ」ことが大切です。

でも「これもダメだった」「ここにも才能がなかった」とわかっていくのは、なぜか「辛いことだと」感じてしまい、みんなやりたがらない。本当は「超前向きでポジティブなこと」なのに!と考えた時に学校教育が出てくるんです。

私は逆上がりと二重跳びができなかったけど、先生や周りの人は「やればできる!」と言って私にずーっとそれをやらせました。(恨みw)

つまり「できないということは、私が何かおかしいんだ」とか「みんなできるのにできないのは恥ずかしい」とか「悔しい」というネガティブな気持ちを抱かせるわけです。

スポーツができない子、絵が描けない子、勉強ができない子、面白いことが言えない子、落ち着きがない子、可愛げがない子など、「できない」というジャンルは様々にありますが、それぞれの人がそのことについて「それはおかしいことなんだ」という気持ちを抱かせる教育なのかなぁって。

つまり「コンプレックス教育」が学校教育の1番の問題ではないかと。

繰り返しになりますが、私たちが太陽星座の道に導かれるには、その手前にある「これって才能ないよ」「できないよ、頑張っても無理だよ」ということを「自覚する」ことが大切なのです。

そしてそれは、コンプレックス教育によって「頑張ればできるし」「私はそれが得意なはずだし」という幻想を抱かせることで、より見えにくくしてしまっている。

そして、コンプレックスを解消することに人生の時間を使ってしまう、つまり、報われない努力をし続けてしまう、ということが起こっているように思います。

どんな人にも必ず何かの才能はあります。

でも、その才能にたどり着ける人が少数になってしまうのは、そのためのちゃんとした手順を教わってないからなのです。


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