宗教だった③

昨日までの記事まとめ

  • 損切りは「自分の価値思いだせ教」という宗教の儀式
  • 日本は「自分の価値上げ下げ教(以下、上下教)」の国
  • 「思い出せ教」は「上下教」を否定する

それで、私にかかっているブレーキの正体がわかったんです。

私は「私がやろうとしてるのは宗教だ!」とわかった時に、かなり動揺しました。

私がずっと怖かったのは「宗教戦争」であり「異教徒からの弾圧」だったのです。

それは私がやろうとしていることが宗教的なものならば当然のことです。

どうしよう!
確かに私はみんなのことを助けたい。
そのためだったらなんだってやる!と思った。

けど宗教か〜。やっぱり怖いな〜。
と途方に暮れました。

そして損を特定しました。
そして損切りワードを唱えたんです。

そして気づいたんです。
あ、なんだ。
全員を助けなくてもいいじゃん!!
全員を助けなきゃ!と思うから宗教戦争になるんだ!!
ということに(笑)

これが大きな損切りになりました。

まず第一に、価値上下教の人は可哀想な人でもありませんし
普通のいい人たちですから、助ける必要がないんです。

基本的に価値上下教の人たちは善良な人々です。

ただ、ごく一部には、過激な人や団体もあります。つまり、私が「思い出せ」活動をする上で、怖かったのはカルト化している「上下教」の人から弾圧されることです。
でも、それは「全員に布教しようと思うから、起きるのだ」と気づいたんです。

「思い出せ教に興味のない人にまで伝えようとするから起きるのだ」ということです。

当たり前のことですよね。キリスト教の国にイスラム教の人が突然やってきて、興味のない人にまで「イスラム教になれ!」と言ってくる人がいたら、それは、その人に問題がありますし、当然排除されます。

しかし、それがわかってしまえば、いくらでも戦略があるのです!

それは超ニーズがある人だけを助ければいいんだ、ということ。
「もう価値上下教は限界だぜー!いますぐ楽になりたいぜー!」という人です。

それがつまり私の「クライアント」です。

クライアントを間違えるから、問題がおこる。
別にキリスト教の人もイスラム教の人も価値上下教の人も悪い人ではないのだから!

ただ「宗教の違い」はある。

私は「信仰の自由」を守る。

日本では「信仰の自由」が認められているので、価値上下教の人は当然認められなければいけないし、価値思い出せ教も当然認められなければいけないのだ。

私は異教徒を絶対に攻撃しない。
間違っても異教徒を「頭悪い」とか「クズ」とか「病気」とか言わない。
同様に、いかなる異教徒も、私のことを攻撃する権利はない。

そうしないと不毛な宗教戦争が始まってしまう。

そもそも今私は「思い出せ教」と「上下教」が同時並行状態だし。

あと、もう一つ気づいたこともありました。

それは、人気になろうとしないこと。
なぜならこの国のマジョリティは上下教だから。
だから、多くの人に受け入れられるには、上下教の上に成り立っている活動じゃないといけない
そうなると「これは心理学です」とか、上下教の擬態(つまり何らかの嘘)をしなければいけなくなる。

これは、みんなを騙すことになってしまう!

結論。

損切りは、宗教です。心理学ではありません。

ただし教祖も教団も持たない原始的宗教の形をとります。
原始的宗教っていうのは、シャーマニズム・アミニズムといったものです。
そして損切りで切るものは「上下教の洗脳」です。

今後も私はこれまでと一切変わらず、上下教を辞めたい仲間を精一杯手助けしていきたいと思います。それが、私の活動だからです。

また、今後は「価値が上がる・下がるを信じること」を「上下教」と呼ぶことがあります。ご了承ください。

(おわり)


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