こんにちは、みくです。
(これは去年に書いた記事ですが、とても重要なテーマ。なのに、なぜか(笑)投稿されず下書きに眠っていたため、このたび、掲載いたします。)
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「脳死でできることしかやっちゃダメだな」というのが私の最近のテーマだ。
この脳死というのは、理性的で冷静な状態で「頭の中が静か」という状態である。
この脳死状態を、損切りにより取り戻した私は、非常に心が平安である。
そして、その状態を維持できないことが不快でたまらなくなった。
不快でたまらないから「含み損」に早めに気づけて損をリリースでき、さらに安心感が増えるという好循環に入っている。
この脳死は非常に安らかで、平安である。
焦りがないし不安もない。つまりコントロールできるような微弱な緊張しかない。
そして私は気づいてしまったのだが。
緊張行動における「緊張」は何のために生まれるかというと「酔い」のためである。
「酔い」は何のために必要かというと、嫌な予感をかき消すためである。
嫌な予感が生まれるのはいつかというと「それが自分の利益にならないことが薄々わかっている」時である。
嫌な予感が2種類あるという話の「月の」嫌な予感である。
「それが幻想だと薄々わかっている」嫌な予感である。
本来、人は嫌な予感がすることは「できない」ようにできている。
だから「酔い」が必要なのだ。
例えばギャンブルを楽しみたいと思ったら、脳死では「できない」。
「億万長者になれるかも」という興奮(緊張)や「失敗したら大損だ」という恐怖(緊張)がないからできないのである。
「なぜ損する確率が高いものにわざわざ大事なお金を使わなきゃいけないんだろう?」という脳死の気持ちでは、ギャンブルがそもそもできなくなるのだ。
それでも「どうしてもギャンブルをやらないといけない状態」になったらどうする?
ここで必要になるのが「酔い」である。
わざわざ自分の損になることをやるためには、酔いが必要なんだよね。
それがないと、できないから。
私は、急に病院に行けなくなった。
毎月当たり前のように病院に行っていたのだ。
しかし脳死になっていた、ある休みの日「あ、今日は病院の日だ」といつも通り思ったのだが「だから何?」という具合に、全く体が反応しない。
上手く言えないんだけど、体を動かすモチベーションの源泉がどこを探してもなくて、それをすることができないのである。
ちなみに「行きたくない」という拒絶感は全くない。「あれ?今日は病院だよね?」と自分でも不思議なのだが「行かないかも〜」って感覚になってしまう。
体調も悪くないし気分も良好であり治療費も持っているし時間もある。
だから「行けないわけではない」。
でも行けない。
「今日は天気がいいし散歩しよう〜」と思うと体は動く。
でも病院に行こうと思うと「あれー?行かなーい」ってなってしまう。
これ上手く説明できないけどかなり衝撃的だ。
でも以前1度だけ体験したことがあるんだよね。
それは会社を辞めた直後だったと思う。
満員電車に乗ろうとしても乗れなかったことがあった。
「乗りたくない!」「嫌だ!」とかそんな感情は「一切ない」。
むしろそれに乗って行きたい目的地があったのだが。
ただ、体が満員電車のドアから弾かれてしまって近づけないのだ。
私は困惑しながら、何個もドアを変えて乗ろうとしたのだが、結局乗れなくて、一人で駅のホームで爆笑してしまった。「乗れなーい!!」って。
(本当に手品みたいで面白かったんだ。磁石の同じ極を近づけあってるみたいで。)
脳死になると、つまり、緊張がないと、やりたくないことができないのである。
私、頑張って病院に通ってたんだなぁ、と思った。
でも全然そんな感じがなかったんです。
むしろ毎月病院に行くのが、楽しみだったというか。
これで普通の健康な人になれるというよろこびに溢れてたのです。
↑これが「酔い」。
月の嫌な予感がすることを、それでも頑張ってやろうとするには、酔いが必要なんです。
酔いは、緊張。
緊張=感情行動の元になるもの=脳内物質。
何のために?
理性を黙らせるために。
理性は幻想を見破るから。
・願望とか期待とか焦り
・怒りとか恐怖とか不安
・思考停止と混乱
↑これらの緊張が足りないと、理性が拒否してしまい、できなくなってしまう。
やりたくないけどやるべきだと思わなきゃいけない時に、緊張による脳内物質でもまだ足りなければ、酒や薬物により、さらに麻酔が必要になる。
でも、本当はできなくなってしまった方が良いのだ。
モチベーションの源泉は、酔いであってはならない。
酔いがなくなっても「やりたい」と、体が動くことが本当の「やるべき」ことなんだ。
私は民俗学を専攻していたのだが、
狸や狐にばかされるという民話が日本全国どこにでもある。大量に残っている。
細部は違うが大抵は同じ内容だ。
ある月夜の晩に、商人が夜道で絶世の美女に出会う。
舞い上がった商人は、美女に言われるがままに屋敷に招かれる。
豪華な屋敷で酒池肉林の宴を楽しみ、朝目が覚めると。
そこは屋根もないあばら屋であった。
ご馳走だと思っていたものは蛆虫で、酒だと思っていたものは糞尿であった。
狸にばかされたのである。
という民話である。
自分が食べているものがご馳走だと思うから食べれる。
蛆虫になってしまったら食べられない。
だから、そこには「イリュージョン」が必要なんである。
そのイリュージョンが、緊張である。
緊張はどこからもたらされるかというと「自分の価値が上がる」という幻想であり「自分の価値が下がる」という幻想である。
※内容については、納得しようとする必要はなく損切りを進めることで自分で確認できます。損切りについて分からないことがあったらいつでもご相談ください。
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