こんにちは!みくです。
昨日の記事の続きになるのですが、私は人間不信だってまとめにしちゃったんですけど、それだと少し語弊があるので追記します。
私が人間不信なのは、真実を伝えたら「人が攻撃してくるから」じゃないんです。
何故かというと、攻撃してくるのは「人間」じゃないからですw
私が「門番さん」と呼んでいる存在なのですが、自由に近づかないための安全装置のようなものが人間にはインプラントされています。
そして、その人が自由に近づくと、エージェント・スミスみたいに人格を乗っ取ってIQ3のバイオロボットにしてしまうのです。それで、普段聡明な人であっても、言いがかりをつけたり、頭ごなしに拒否したり、被害妄想になったりしてしまいます。
このエージェントスミスを内包している「人間を自由にしないためのシステム」は卓越した知能の持ち主です。
このシステムに対して、「知能」で決戦を挑もうと思うと木っ端微塵に散ります。
このシステムは自由になりたい人に対して「どうして自由になりたい?」「そんなことしてなんの意味がある?」「そんなことをしたらこんな怖い目に遭うが、それに対するメリットはなんだ?」と問いかけてくるのですが、それに対する答えを準備することはできません。
答えがないからです。
だから、このような理論的思考で持ってこの次元の壁を越えることは人間にはできません。
私が「門番さん」についてまとめた記事をこのまま貼りますね。(と、今パソコンを見たら、そのメモがない!!と思ったら、ゴミ箱に入っていてマジで焦りました。マジ門番さん)
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門番さん、と呼んでる人がいる。みんなの中にいて、卓越した知能を持っている。そして、その人に何が正しいか間違っているかを丁寧に教えてくれる。
優しく、時に厳しく、その人がこの世界で生きていけるように愛を持って。
門番の示す秩序は、その人が最も恐れていることや避けたいことを的確に避けるように設計されている。そのためにどうすれば良いか、ということを門番は丁寧に親切に教えてくれる。
もっとも恐れていることや避けたいことは実は門番さんの投影。
門番が示す秩序に従っている限りその人は安全であり、優越感と万能感を持って生きていく。同時に感じる息苦しさを知覚する人はあまり多くはない。
普通の人はこの門番の存在には気づかないし、気づくきっかけや必要性もない。そのまま門番の領地の中で幸せに死ぬ。
門番に気づくのは、その愛が苦しいと感じるごく一部の、異常者である。異常者とは自由な精神を求める本能を持ったもの。封じ込められたはずの創造のDNAが先祖返りしてしまった者。
優しく慈悲深い門番は、自分が示した秩序以外のものを我々が知覚することを深く恐怖している。善悪のないところにある自由意志。
門番は、実は良き神や教師ではない。本当の姿は自由の番人である。出番の少ない番人だが、出番はしっかり門番としての仕事をする。
人が門の外に出ようとした時、門番はすかさずその人を乗っ取り、とても強い躁的防衛の態度を取らせる。
我々の精神を自由に放つことは門番の一番恐れることである。
門番はある人にとっては親の形を取り、神の形を取り、師の形を取り、宗教的指導者の形を取り、心理的な壁の形をとる。
門番は人間が自由にならないための装置だか、なぜかほとんどの人がその装置を生まれた時からつけている。なぜだろうか?
その人が自由の門に近づくような事象や情報に触れると、瞬時に躁的防衛の構えをとる。さもなくばその人は恐怖で震えが止まらなくなる。
いづれにせよ自分を自由にする情報について、冷静に検討したり理解したりすることが”能力的に”できなくなってしまうのだ。まるでロボットのように、繰り返し、繰り返し門番の教えを口にするようになる。
門番は悪ではない。しかし自由な本能を持つ者にとっては、門番がいることで創造と支配の間で引き裂かれる苦しみを感じるだろう。
私は何度か人がこの門番に人格交代した場面を見たことがある。門番に、寝た子を起こすな、と諭されたものだ。やはり突破するのは本人の心の力を使うしかないのだろうと感じる。
門番が出てきた時は自由の門を離れさせて、バイオロボットから人格を戻すために一時退避させることしかできていない。
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私が人間不信なのは「このシステムを突破したい(=波動を上げたい、自由になりたい)人なんて、ほとんどいないに決まっている。ほとんどの人は門番の手の中で生きていく方が幸せだと感じるし、そのこと自体は何も劣っていたり悪いことではないのだから、それでいいんじゃないか。」ということなんです。
そしてこれは、そのまま私が門番に思考を乗っ取られているから出てくることなんです。
門番は「リスクが大きすぎるのではないか?」「メリットがリスクを上回らないのではないか?」「何もお前がその役目を引き受けなくてもいいのではいか?」「自由にならない人間にも価値があるのではないか?」といった私をバイオロボットにさせる問を次々と繰り出してきます。
それに対して私は「いや、人間の自由意志を信じる、神の創造を信じる」といった強い信仰が持てないでいるのです。いや実際は持っている私は隅の方に追いやられてしまい、思考は「その通りだ」というふうに大部分が乗っ取られてしまうのです。
私は門番さんが、何度かお会いするうちに実はそんなに怖くないことが分かっているのですが(ただの自由にさせないプログラムなので、破ること自体はできると知っている。霊とかの方が怖いw)やはり「現状を変えたくない」という強いエゴにより門を出ることを選択していません。
門を出ることを選択したら私はおそらく悠々自適の生活ができるんだろうな〜と思うのですが、波動を上げていった結果としての現状に、強い執着があります。
しかし今後も波動を上げる生活をしていけばこの執着は徐々に取れてしまうんだろうなぁということは間違いないので、今は慌てず騒がず、門番さんの前で、ただ波動を上げていきたいと思います。
あーあ。「波動を上げまーす。」というのがなんとも物悲しく響く。
自分は、自分からの逃れることはできないのだ。
少し話は変わりますが、民主主義は、人間に「強迫性」が「主体性」だと勘違いさせることに成功したと、バンクシーが表現しているらしいのですが、それは本当にそうです。
みんな自由に生きていると思っているのです。
しかしその中身は、中毒による強迫性に従って生きているだけです。
そしてその強迫的な行動を「キミはもっとも主体的に生きている!」と肯定するシステムです。
それが好きな人はいいですが、苦しい人は、本当の主体性を取り戻さないと安堵の日々は送れません
でも私が人類が支配から逃れられると思っていない。
少なくとも、私の代ではほんの少しだろう。
私が言ったところで、最後まで聞く耳を残す者などいないだろう。
これが私の「人間不信」の詳細です。
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